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【こんな映画でした】797.[時計じかけのオレンジ]

2023年 1月24日 (火曜) [時計じかけのオレンジ](1971年 A CLOCKWORK ORANGE イギリス/アメリカ 137分)

 スタンリー・キューブリック監督作品。マルコム・マクダウェル主演(アレックス役)。そのバイオレンスの凄まじさから誤解されていた作品。私も大昔に映画館で観て、その後ご無沙汰なのですっかり忘れていた。当時はどんなふうにこの映画を観たのだろうか。今回は、初めて観るのと同じように新鮮に観ることができた。そしてこの映画に対する私なりのキチンとした評価をすることができたのではないかと思った。もちろん現時点での、だが。この先、再度観れば、また違ったものが見えてきて、また違うことを考えるかもしれないが。そこが映画の(あるいは読書でも)面白いところだろう。

 まず主人公の男たち四人組に着目すると、彼らはイギリス下層階級(労働者階級)の子息である。まだ学生であるので働きはしていないが、卒業してもろくな仕事に就けるわけではないようだ。そんな中で日々を暮らす若者たちは、その鬱憤を暴力や盗みなどの反社会的行動にはけ口を見出している。

 毎夜のごとく街中を徘徊し、その獲物を探す。オープニングは、ミルクバー(?)でたむろするシーンから始まる。そしていよいよ獲物を求め、得物(仕込み杖のようなもので、後で分かるがナイフが隠されている)を振りかざして夜の町を行く。最初の犠牲者は年寄りの浮浪者。棒で殴り、蹴飛ばす。老人に対する悪態をつきながら。つまり、年寄りは社会の邪魔者・厄介者だというのだ。

 次いで、他の敵対する若者グループとの争闘。病院へ入院させるほどの暴力を振るう。さらに今度は車を盗んで乗り回し、郊外の作家夫婦の家を襲う。近くで交通事故をおこし友人が瀕死であるとウソをつき、ドアを開けさせ4人が侵入する。夫には殴る蹴るの暴力で、妻は押さえつけておいて画面では映し出されないが強姦する。この事件の後、妻は亡くなり、夫は下半身不随の車椅子生活となるのが、最後の方で分かる。

 セックスについては、アレックスが二人の女の子と楽しむシーンが早送りでコメディタッチで描かれている。まさにプレイである。しかしこの四人組もリーダーシップをめぐって仲間割れをし、ある晩、襲撃した女性一人の家でアレックスは裏切られ、殺人罪で警察に逮捕され、刑務所へ。懲役14年となる。しかしここからがいよいよ本筋なのだ。

 新任の内務大臣が刑務所を視察しに来る。この際アレックスは、今政府がやろうとしている犯罪者への心理療法「ルドヴィコ療法」(もちろん造語だろう)を志願する。その療法の内容たるや、目を閉じられないようにしておいて、延々と暴力的な残虐な映像を見せるものであった。そのうちの一つにはナチスの行進のシーンがあり、音楽はベートーヴェンの「第九」であった。

 そのためにアレックスは好きだった「第九」を聴けなくなり、ついにはそれがもとで自殺しようとすることになる。その療法の効果は、暴力行為や性行為をしようとすると吐き気を催すというものであった。彼は暴力も性行為もできなくなり、つまり治療の効果ありとして釈放されることに。

 その釈放の前に内務大臣による実験の成果の発表会に連れていかれる。そこで内務大臣は以下のようにスピーチするのだった。
(80分~)
 5月の朝のようにさわやかなこの青年を...2年前、国家はクズ同然の悪党に無益な懲罰を与えました。2年間、変化なし...刑務所は彼に虚飾と偽善の所作を教えたのです。媚びとおべっかとへつらいのまなざし、新たな悪業も学び、以前からの悪業には磨きを掛けました。
 我が党は治安の回復を公約し、平和を愛する市民のための町作りを進めています。それが実現しつつあります。ご来場の皆様、これは歴史的な瞬間であります。暴力犯罪はもうすぐ過去の遺物となるのです。

 このようなスピーチの後、模擬演技のようにアレックスに対して男が暴力を振るったり、裸の女性が彼に性行為を迫るように演技をしたりする。それまでのアレックスであれば直ちに殴り返し、女性を襲っていたことであろう。ところが、療法の効果でただ吐き気を催すのみで、何ら具体的な行動は取れないのだ。これをもって内務大臣は「成功」と称するわけである。

 釈放されたアレックスには早速試練が待っていた。まずは暴力を振るった老人に出くわし、彼らから暴力の仕返しをされることになる。そこに警察官がやって来て、救われたと思いきや、彼ら二人の警察官は元の四人組のメンバーで、アレックスが痛めつけた二人であった。彼らに辺鄙な場所に連れていかれ、そこでやはり仕返しの暴行を受け、瀕死の状態のまま、これまた最初に襲った作家夫婦の家に助けを求めることに。

 妻を殺され、今や車椅子生活となった夫は、すぐにこの男があの加害者であると察知し、丁重に迎え入れてやる。風呂と食事、それにワインを与え、階上の部屋に監禁し復讐することになる。具体的にはアレックスのいる部屋の階下からベートーヴェンの「第九」を大音響で聴かせるのだった。ついに彼はたまらなくなり、窓ガラスを破って庭に転落する。つまり自殺させようとしたわけだ。

 幸い死ぬことはなく、病院に運び込まれ、手当を受けて回復していく。その目処が立ったところで再び内務大臣が登場する。見舞いにくるわけだが、もちろん政治家の彼には魂胆があった。以下はその内務大臣の、アレックスに対する話である。

(129分~)
 わたしとしては、政府を代表し誠心誠意を込めて深い遺憾の意を表しておきたい。君を救うための助言に従ったんだが、それが過ちだったらしい。いずれ査問会が責任を明らかにする...危害を加える気はなかった。しかしとんでもないやつらがいて...だれだか見当はついてるだろうが、君を利用しようという連中。政治目的でね。君が死ぬと彼らは喜ぶ。政党を非難できるしな...我が党は君に関心がある。退院後の心配も無用。すべて面倒を見る。好条件の就職も...そのために我々に協力を。友人同士助け合わなくてはね。...(具体的には)世論を操作する(ことに協力を)。

 このあと病室に記者たちが入ってきて盛んに写真を撮る。BGMとしては、病室に大きなスピーカーが持ち込まれ、大音響で、もちろんあのベートーヴェンの「第九」の第4楽章が鳴らされる。アレックスはそれを聴いても、もはや「自殺願望」を持つことはなかった。むしろ最後には、裸の女性との性行為をしているところを頭に浮かべている(それがショットとして映し出される)。そこで彼自身の言葉で「完ぺきでなかったね」、と。つまりルドヴィコ療法は、完ぺきではなかったと言っている。満面の笑みとともに、内務大臣とのツーショットを撮されながら。

 音楽は、あと「雨に唄えば」とエルガーの「威風堂々第一番」が印象的である。しかし私が最高最大の音楽だと思っているベートーヴェンの「第九」を、このように使っているとは、と驚いた。しかし逆に考えればいいのだろう。やはりこの曲は素晴らしいということなのだ。

 この映画は誤解されやすいのかもしれない。イギリスでの公開時には、当時イギリスに住んでいたキューブリック監督の一家は、猛抗議を受け、生命の危険を感じるほどの圧力を加えられたとのこと。ついに監督はイギリスでの上映中止を要請し、映画会社も了承して。

 これなどは短絡的な理解、つまり暴力とセックスに対する過剰な反応により、映画の持つ意味を理解しようとしなかったということだろう。映画をはじめとして芸術というものは、常にこのような圧迫・弾圧を受ける危険性があるということだ。

 この作品も、この先ずっと見続けられることだろうが、ちゃんと理解して観ることのできる人は少ないかもしれない。映画館で観て以来ずっと観てこなかったのは、私にもそのような偏見があったからかもしれない。

2023年 3月 8日 (水曜) [時計じかけのオレンジ](1971年 A CLOCKWORK ORANGE イギリス/アメリカ 137分)音声解説版

 スタンリー・キューブリック監督作品。前回というか映画館で観て以来2回目を2023年1月24日にDVDで観たが、今回は「時計じかけのオレンジ 製作40周年記念エディション」と題された「アニバーサリー・エディション2枚組」ブルーレイディスクで観た。「40周年」というのは2011年のことであり、マルコム・マクダウェルの音声解説版の製作は作中「35年経って」「62歳」と言っているので、2006年頃のことだろう。

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