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【こんな映画でした】833.[死刑台のメロディ]

2023年 2月 5日 (日曜) [死刑台のメロディ](1971年 SACCO E VANZETTI SACCO AND VONZETTI イタリア/フランス 125分)

 ジュリアーノ・モンタルド監督作品。サッコをリカルド・クッチョーラ(撮影当時46歳)、ヴァンゼッティをジャン・マリア・ヴォロンテ(撮影当時37歳)。検事カッツマン役をシリル・キューザック(撮影当時60歳)、何本か観ている。憎たらしいほどの演技である。裁判官もそうだが、国家権力の末端にいる人たちというのは、そういうものだ。

 はっきりした記憶も記録もないが、一度は若い時に観ているはず。さもなければジョーン・バエズの歌った「勝利への讃歌」を当時、何度も耳にしていたから観たつもりになっていたのかもしれない。

 今回はようやくDVDを入手して二回目を観ることとなった。やはりほとんど覚えていなかった。そして冤罪が作られていくプロセスがショッキングであった。最初から結論ありきの裁判であったようだ。

 1920年の4月15日の強盗殺人事件である。第一次世界大戦が終わってまもなくで、戦後恐慌が始まっていた頃だろう。おそらく労働組合の運動など社会運動がさかんになりつつある頃だったのではないか。その中でアナーキストが標的にされ、血祭りに上げられたということかもしれない。

 しんどいけれども観ておかなければ・知っておかなければならない映画であり、事件である。観ていて気が滅入るが、それでも観て、考えていかないとだめだろう。人間として真っ当に生きていくために。

 ヴァンゼッティがいみじくもこの社会を分析して、一刀両断している。キーワードは「暴力」である。すべての根源にはこの「暴力」がある、と見抜いている。庶民の生活苦は一見「暴力」とは関係がなさそうだが、実はそれは国家による意図的あるいは不作為による結果として表れてくるものだ。それを別の言葉で表現するならば、国家による「暴力」なのである。

 これを聞いて、私も目が覚める思いであった。様々な問題があるが、その根本に根差すものに気がつかなければならなかった。この何十年も生きてきていて不覚だった。気がつかなかった。一番の元凶は「暴力」なのだ。

 人々はこの「暴力」によって支配され、服従させられ、不幸な日々を送らざるを得ない環境下におかれるのだ。それを打破していくために、結局、彼らは無政府主義、アナーキストになることだと気づいたわけだ。

 アナーキストだからといって、直接的な「暴力」、つまり爆弾を投げるなどのテロ行為に及ぶわけではないのだ。政治思想なのであるから。しかし為政者はそれを極度に嫌うわけだ。当然である。彼らは「暴力」を使って、彼らの利益を得ているからである。収奪・搾取しているからである。

 それに対抗する手段は、庶民には何もない。デモをしてもすぐに騎馬警官に蹴散らされ、殴られ、逮捕されていく。一体どうすればいいのか。サッコたちはビラを作り、配るということをしているのであるが、どこまで効果があるか。

 それは21世紀の今日でもそうだ。すべて同じことの繰り返し、まさしく「歴史は繰り返す」なのだ。そんな中で私たちはどのように生きていけばいいのか。行動すればいいのか。それを考えさせる映画であるといえるだろう。

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