見出し画像

【こんな映画でした】246.[河]

2020年 5月 3日 (日曜) [河](1951年 THE RIVER アメリカ 105分)

 ジャン・ルノワール監督作品。助監督でサタジット・レイのクレジットがあったが、実際はロケ地探しを手伝ったくらいだったようだ。それとシナリオを読んで、実際とは違うおかしな点を監督に指摘したとのこと(『世界の映画作家 7 ショトジット・ライ/ルイス・ブニュエル』(キネマ旬報社 1982年))。監督はインドのことは、たいして知らなかったらしい。あとライからしたら、描き方がインド人の一人としては納得できなかったようだ。

 そんなことではあったが、ザッと観たかぎりそれなりに考えさせられるものであった。恋愛があり、事故があり、戦争で傷ついた元軍人がおり等、ある意味、よくあるエピソードではあるのだが。

 その恋愛対象となる片足を失って義足であるジョン大尉(トーマス・ブリーンで、撮影当時27歳くらい)は、その足のこともあり自暴自棄であり、何かを求めてインドにいる叔父を訪ねてくる。ここから恋愛のアフェアが起こることになる。要するに、若い男性がいない(来ない)ということだ。

 子どもたちの中での中心は、ハリエット(パトリシア・ウォルターズ、撮影当時15歳)で、映画そのものも彼女のナレーション(後年の回顧という形式なので、この声はハリエット役の俳優ではなく、June Hillman)で進行する。

 好意的にこの映画を観れば、様々にインドの文化と人々を描いているとも言えるが、どこまでいってもそれは西洋人から見たそれなのかもしれない。つまりバイアスが掛かっており、ライからしたら不満足、あるいは不愉快なものだったのかもしれない。私も視点はインド人側にはなく、そこで暮らす西洋人たちの目で見てしまっている。

 ハリエットが次のように、秘密のノートに記している。

 "河は流れ、地球は回る。朝も昼も、そして真夜中も。太陽と月と星が空を巡り、1日が終わり、そして終わりが始まる"。河は物理的にも精神的にも人々を支えているということ。河の人と、村の人のこと。仕事帰りに疲れた身体で涼む工場の人々や、洗濯をする人、ひなたぼっこする老人や、水遊びに興じる子供たち。思索や瞑想にふけるインドの人々のことを大尉に伝えたかった。......
 騒がしい俗世から、清らかな河の流れへと続く階段が......階段は土手に区切りを付け、日々の生活を区切るのは祭りだった......。

 ハリエットの父親がボギーを亡くして、ある夜、ジョン大尉に次のように話すともなく話す。

「あの子に乾杯してやろう。子供のうちに死んだ子はうまく逃げおおせたんだから。我々は子供を学校に閉じ込め、おかしなタブーを教える。あげくの果てには戦争に巻き込むんだ。彼らには身を守る術がない。我々が殺しているのと同じだ。世界は子供のためにある。本来、子供というものはアリや鳥のように自由な存在だ。恥とは無縁なはずだ。彼らにとって大事なのはネズミの誕生や、池に落ちる木の葉だ。もし世界が子供だけだったら......。」

 ハリエットをはじめとして若い女性が三人出てくるが、ハリエットとバレリーは西洋人。二人とも美人とは言い難い。特にハリエットは、母親に「私は美人?」と尋ねた時、「個性的だ」と答えられている。メラニーは父親が西洋人で母親がインド人で、三人の中では一番キリッとした美しさがある。

 メラニーとジョン大尉との会話で、メラニーは彼にその状態、つまり片足が義足であることを受け入れなければ、と。人生とはそのようなものだろう。悲観的・消極的にではなく、積極的に受容していくことが大事だ。もっとも、それ以外になすすべのない人がいっぱいいるのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?