【こんな映画でした】756.[道]
2020年11月 3日 (火曜) [道](1954年 LA STRADA イタリア 108分)
最初にいつ観たのか、記憶がない。少なくとも1974年11月4日には観ているようだ。もっと前に、つまり学生時分に観たような気がしていたが、錯覚だったのだろうか。このような古い、しかも名作といわれる映画の場合、こういうことが起こる。
フェデリコ・フェリーニ監督作品。アンソニー・クイン、撮影当時38歳くらいか。そしてジュリエッタ・マシーナは撮影当時34歳。監督と同年齢だったようだ。
前回観てからでも45年ほど経つわけで、何も覚えていないといってもいいくらいだった。やや不自然なカットのつながりは、もしかしたらフィルム劣化のためかなとか、アンソニー・クインの口とセリフとがずれている感じのところがあり、やはりこれは吹き替えなんだんろうな、と。
イタリア映画なので、もちろんイタリア語なのだが、メキシコ人の彼にイタリア語が話せたのかどうか。確認できないが。ちなみにルキノ・ヴィスコンティの[若者たち]のアラン・ドロンはイタリア人による吹き替え、と記してあった。
あとショックだったのは、なんといってもそのエンディングである。気に入らない。それはもしかしたら最近、ロベール・ブレッソンの作品を観ていっているからかもしれない。
要するにあのラストシーンは、あまりに平凡かつ通俗的に思えるのだ。その日の午後、散歩していたザンパノがジェルソミーナのメロディーを口ずさむ女性を見かけ、ジェルソミーナのその後のことを聞く。道端にほったらかしていった後のことを、初めて知るというわけである。
そして酒場で飲んで荒れ、海辺に行って、おそらくジェルソミーナを思い出しながら慟哭・号泣して、砂浜にうつ伏せになって、カメラは引いていって終わり。私はこの描き方は、ザンパノを突き放して客観的に描こうとしたものだと解釈した。
私などは素人考えだが、逆にワイドからロングで、カメラをザンパノに寄せていき、画面いっぱいにザンパノの慟哭する姿をとらえ、海か空へパンして終わり、というのが感覚的に合う。つまりザンパノの悲しみに寄り添うということ。また見直して考えてみたい。
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