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【こんな映画でした】519.[罪の天使たち]

2020年 9月 8日 (火曜) [罪の天使たち](1943年 LES ANGES DU PECHE フランス 87分)

 ロベール・ブレッソン監督作品、3本目。主役のアンヌ・マリーにルネ・フォール。撮影当時24歳。美しい人だ。だから余計に凄まじい。ひたすら純粋に神に仕えようという心根。それが他の修道女からしたら疎ましく思えてしまえるくらいに。

 そこは修道院であっても、人間の作り出す社会であるから妬み・嫉みが横行することになる。もちろん表面的にではなく。そして密告も。

 なぜなら彼女の言う論理は、まさにキリスト教会や聖職者たちが使ってきた論理と同じであるからだ。だから誰も否定できず、そのあまりの過激さに辟易しながらも表立った非難ができないのだ。

 「神のお告げ」であったり、「神がそうするように私に命じられた」等々と言われたら、そのおかしさに気付かされながらも、全面否定はできない。しかもそれが自己の利益や保身のためではないのが分かっているので、よけい厄介なのだ。

 彼女アンヌ・マリーが献身的に世話をするテレーズは、ジャニー・オルトで撮影当時31歳くらい。この女性は十分に世俗の世界で苦労してきているようなので、そんなお嬢さんであるアンヌ・マリーの言うことなど、上っ面だけの綺麗事としか捉えられない。

 それがアンヌ・マリーには分かるので、さらにエスカレートしてしまうのだ。最終的にアンヌ・マリーの死によって、テレーズは改心することになる。ラストシーンは、その彼女の手に手錠がはめられる、その手のアップである。

 解説によると、手のアップとか、主人公の死が、この監督の演出の特色であるとのこと。キリスト教のことにこと寄せてはいるが、いずこの社会にあっても同様のことがあるわけで、この映画はひたすらキリスト教会だけを非難の対象としているわけではないだろう。とまれ、いろいろと考えさせられる。

 すでに観た[抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より-]や[スリ(掏摸)]よりも、私には興味深かった。なお原題は、英語に訳されたもの(Angels of Sin)から推察すると、「罪ある天使たち」といったところになるか。

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