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【こんな映画でした】8.[妹の恋人]

2021年10月27日 (水曜) [妹の恋人](1993年 BENNY & JOON アメリカ 98分)

 ジェレマイア・チェチック監督作品。初めて。ジョニー・デップ主演。撮影当時28歳。普通とは違う、ちょっと変わったキャラクターを。そして「妹」のジューン役をメアリー・スチュアート・マスターソン(撮影当時25歳)、初めて。ジュリアン・ムーアは撮影当時31歳、若い。

 この妹は普通とは違ったキャラクターで、それを周囲は病気と見ている。どころか施設に入れようとする人もいる。もちろん兄のベニー(エイダン・クイン、撮影当時32歳、初めて)もそのように見ていて、心配でたまらない。両親を交通事故で亡くし、それから二人の生活が12年間続いているようだ。

 これは拾いものといっていい、佳作であった。人は、人によって救われる。この映画はそのことを印象づけるものだった。

 私のパートナーが言うには、この映画には「悪人」は出てこない、ただ一人として。後で観たメイキングでも監督(による音声解説版)は、やはり悪人を描きたくなかったと言っていた。

 ただ難しいのは、人々を苦しめるのは何もその人が悪人であるからとは限らない。無垢な善意が人を苦しめることがある、とあらためて思い知らされた感がある。悪人どころかみんな善人なのだが、その善意や好意が人を苦しめることもあるのだ。

 さらに言うなら、周りの善意が客観的に良いものだとしても、それでもそれが彼女にとってベストなことであるかどうかは分からないのだ。本当に難しい問題である。ひたすら本人に寄り添って考えていくしかないだろう。残念ながら、たいていの善意の人も、そこまでには考え至らないことが多いのだ。

 私は長年教師をしていて、そのような事例に少なからず出会ったきた。その際の親や担任教師の理解を得ることは、大変難しかった。特に私が直接担任をしてない場合で、つまり授業の担当者である程度ではなかなか私の言は容れられないのだった。

 それにしても思うのは、みんな孤独であるということ。まして普通とちょっと違ったキャラクターの人たちは、もっと孤独である。理解されにくいからだ。
そこをどのように生きていくかが難しい。やはり見守ってくれる人の存在が大切ということに尽きるだろう。

 そのあたりのことを含め彼女のことを監督は、「彼女には独特の世界やルールがあることを(映画では)表現している。私が描きたかったのは、特殊な感性の中に生きる、とても孤独な人物」である、と。

 あるいは映画の中では使ってないが、彼女の病気として一般的に想定されている病名は、昔なら「精神分裂病」であり、今なら「統合失調症」ということになるようだ。

 監督はあえてそういう言葉での定義をせずに、より客観的にその実情を描くようにしたとのこと。それは良いやり方であったと思う。私たちはどうしても言葉に振りまわされ、先入観や予見を持って、彼女を見てしまうのだ。

 その危険を避けるための監督の配慮であったろう。そして私たちにとっても良いことは、「病気を持つ人間」として見るのではなく、「独特の世界観やルールと個性的な(普通はみんな個性的といっていいのだが)感性とそれに基づく行動を取る人間」と見ることだ。

 そう、どこにでも居る、ただ大方の人よりもちょっとだけ何かが違っているに過ぎない人たちなのだ。それを周囲の人がすぐに精神科へ連れて行き、病名を付けてもらい安心しようとするわけだ。本人にとっては地獄の始まりになる。

 このようなことを教えてくれる・知らしめてくれる映画であった。

 あと面白かったのは、ジョニー・デップによるチャップリンとバスター・キートンの真似というか、彼らに対する敬意の表れとしての演技が挿入されていたことがある。キートン風の服装に、チャップリンのフォークとパンを使った机上でのダンスがそれである。演じたジョニー・デップは相当練習したのだろう。そして器用なものだと感心した。

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