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【こんな映画でした】523.[バルタザールどこへ行く]

2020年11月13日 (金曜) [バルタザールどこへ行く](1964年 AU HASARD BALTHAZAR フランス/スウェーデン 96分)

 ロベール・ブレッソン監督作品。バルタザールはロバの名前。狂言回しの役をつとめる。その最初に飼われることになった家族とともに、不条理な数奇な運命をたどることになる。その眼が何とも言えない。惹きつけられる。

 細部については、分かりやすい映画とは言えない。ただ大筋は追える。オープニングシーンはバルタザールと名付けられるロバと子どもたち、マリーとジャックとの出会いである。飼うのは難しいぞと釘を刺されているが、伏線となっている。

 子どものうちは可愛がっていても、成長とともに動物への愛、ここではバルタザールへの関心がなくなっていき(別のことに関心が向くことになったためだが)、数年後、思春期を迎えたマリーは、もはや世話をしなくなる。そして親によって売られてしまう。

 この別れを寂しいとも何とも感じないマリーは、成長した結果だともいえる。バルタザールへの思いは、子どもらしい無邪気な、愛とは言えない動物への一時的な関心・感情であったということだろう。後のことだが、強欲な男に買い取られたバルタザールにマリーが出会うシーンがあるが、彼女はいたって冷淡であった。

 こんな言い方もできようか。バルタザールと別れた・手放したマリーは、本来そうあってほしい・そのようにしたいと思っていた自分の人生や生き方からも訣別することになった。バルタザールこそは、マリーに幸運をもたらすはずだったかもしれないのに、と。

 先を急ぐと、マリーの精神の崩壊は、同時にバルタザールの命の喪失につながっているようだ。マリーは父の死と、残された母という家庭を捨ててどこかへ行ってしまうのだ。生死不明である。精神的にはもう死んでいるのだろう。肉体も近い将来失ってしまうことになったかもしれない。それは観客が想像するだけだ。しかし、あたかもそのマリーの身代わりのようにバルタザールは死んでいく。ジェラールたち不良青年の盗みに関わらされて、彼らとともに警官に撃たれて死んでいくのだ。

 ラストシーン。バルタザールは一体自分に何が起こったのか、そして今、自分は死んでいくのかと、多くの羊たちに囲まれて体を横たえるのだった。バルタザールの死とともに映画は終わる。

 愛情ということでは、マリーとジャックとが子どもながらに将来を誓い合うのだが、年月の流れはその夢想を打ち破ってしまった。マリーがそのようにジャックに告げるシーンは残酷だ。しかし、それが現実なのだろう。階層の違いもあっただろうが。

 このようになる切っ掛けは、マリーがバルタザールの頭に花を飾ったりしているところを見たジェラールが、あれは両思いだと言い、マリーにちょっかいを掛けたのだった。それは実はバルタザールとではなく、ジャックとの両思いに嫉妬してのことかもしれない。

 それで大して思ってもいなかったマリーを誘惑したのではないか。その結果としてマリーは純な気持ちを失ってしまったのかもしれない。再会したジャックに次のように言い放つことになる。「あなたが見てるのは昔の思い出よ。私は変わってしまって何も感じない」

 また時間をおいて観れば、いろいろと分かってくるかもしれない。それとマリー役の女優が、後に本を出していて、この映画について書いているとのことなので読んでみようと思う。

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