見出し画像

【こんな映画でした】739.[ブロークバック・マウンテン]

2022年12月26日 (月曜) [ブロークバック・マウンテン](2005年 BROKEBACK MOUNTAIN アメリカ 134分)

 アン・リー監督作品。切っ掛けはヒース・レジャーの[カサノバ]を観たから。それと今作の監督がアン・リーであるということで。主演の二人はまずヒース・レジャー(イニス・デルマー役)が撮影当時26歳。そしてジャック役のジェイク・ギレンホール(撮影当時24歳)。

 時は1963年、ワイオミング州シグナル(というのが最初に出てくる地名)、羊番の仕事をすることになった二人の青年が主人公。以降、20年間の彼らの人生が描かれる。
 原作はアニー・プルー(名前から分かるように女性である)。この人の作品では[シッピング・ニュース]を観ている。女優陣はイニスの妻アルマにミシェル・ウィリアムズ(好演)、ジェイクの妻にアン・ハサウェイ。

 表面に現れてくるもの・形態は、男性同士の「同性愛」ということになる。これを女性作家が描いているわけだが、そうなると男性でないのに分かるのだろうか、と。だからそうではなく、形は同性愛であっても、描くのはもっと本質的な人間同士の愛情というものだと思う。

 人が人を好きになり、恋し、愛してしまうというのは、理性で理解できるものではない。映画鑑賞と同じで「感じる」ことなのだ。理解はできなくても、感じることなのだろう。

 それにしても時代性があるとはいえ、1960年代のアメリカは今以上に保守的であったろう。だから同性愛は厳しく糾弾された可能性がある。この映画で描かれたことが本当にあったのだとしたら、その一人は私刑されている。それもイニスが9歳の時、その父親が。私刑を受けた彼は、今一人の男性と二人で牧場を経営していたとのこと。

 この同性愛者を嫌う考え方というのは、私が思うに、多分に宗教的な背景があるからだ。特にキリスト教・イスラム教という一神教は厳しい。その教義・戒律でそのような人間の愛情の形を否定する。一つにはカトリックのように、子孫繁栄のためではないセックスは許されないというもの。(イニスの娘はメソジスト教会で結婚式をすると後に言っているので、プロテスタント。)

 たしかに近年、少子化の流れを見るとその考え方はまったくの見当外れではなかったとも、皮肉として言えるが。実際の少子化は主として経済的な理由によるものだろう。

 人間がより人間らしく生きようとすると、それは宗教の否定につながりかねないと、宗教者は恐れるのであろう。宗教や神が第一でなければならないとする彼らにとって、人間同士の愛情関係が最優先とするのはまさに異端そのものかもしれない。だから、許さない。魔女狩りとなるのだ。

 同性愛者たちは、その魔女狩りの恰好の標的なのだ。嫌らしい・気持ち悪い、として忌避する。それはアダムとイブのようなノーマルな(?!)異性関係ではないので、許されないのだ。アブノーマルなものは、危険だとするわけだ。

 そしてその危険だと考える考え方は、実は間違ってないから厄介なのだ。つまり、「自由」と「人権」を最大限に尊重するのが、人間の愛情関係だからだ。それがないことには対等な人間関係も作れないし、人を愛し愛されることも本質的にはあり得なくなるのだ。

 このように考えれば、同性愛というものを種々の権力が否定してくるのは、当然の結果であろう。権力者の利益を守るためには、徹底的に否定するしかないと考える。もちろん、優れた宗教ならそんなことはあり得ない。

 それが分かっている人は、世界中でこれまでの歴史の中にあっても少なくはない。彼らはそれぞれに苦労をしてきていて、またそれは歴史の表面には出てこない。最近、私は様々な映画を観ているが、イングマール・ベルイマンでもフランソワ・トリュフォーでもルイ・マルでも、その作品の中で戦っているように私には見受けられる。彼らの作品は宗教的権威から批判され・糾弾され、さらに一部カットや全面上映禁止の憂き目に遭ってきている。それは映画という一芸術だけではなく、芸術全般にわたっている。

 とまれ芸術、中でも映画が目の敵にされるのは、映画が正鵠を得ているからだ。私たちはこれを擁護していかなければならないが、現実はなかなか厳しいものがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?