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病室で食べた茶蛋

氷の滑り台での母との別れ

 僕は中国の東北地方に生まれた。日本の中国地方ではない。中華人民共和国だ。冬がとにかく寒い僕の故郷も、世界各地の雪国の例にもれず、毎年冬になると市内の広場で雪祭りが開かれていた。

 三歳の冬、僕は母と二人で雪祭りに出かけた。父は家にお金を入れないアル中DV野郎で、僕の記憶もないうちに両親は離婚していた。

 雪祭りの会場で、僕と母は氷で出来た滑り台で遊ぶことにした。頂上について、母は僕を膝の上に乗せた。母は色白でとても綺麗で、気丈で、素敵な女性だった。僕はそんな母のことが大好きで、手袋なしでは一瞬で手が腫れるほど寒い外でも、母の膝の上はとても温かかった記憶がある。

 滑り台の頂上で座った僕と母だが、一向に動く気配がない。

「どうしたの?」

 僕がおぼつかない朝鮮語で聞くと、母は無言で僕をぎゅっと抱きしめてくれた。僕はとても幸せな気持ちになった。

「オモニ(お母さん)大好き!」という気持ちが心に溢れた僕は、自分の身体の前に回された母の腕をぎゅーっと抱きしめ返した。すると、母は言った。

「ごめんね。。。」

 母は泣いていた。幼い僕は母がどうして泣いているのか、どうして謝っているのか、皆目見当がつかなかった。ただ、柔らかい雪が舞う冬の夜も、母も、母の涙も、とても綺麗だと思った。僕は母が大好きだった。

 次の日、大好きな母は居なくなった。劣悪な環境から僕を救い出すために新天地を求めて日本に渡ったのだ。

 三歳、僕の心は初めて壊れた。

石炭の雲の下で病院暮らし

 母が日本に渡って、僕は母方の祖父母に預けられた。祖父母は僕が定期的に高熱を出すたびに、顔色を変えて僕を抱きかかえ、タクシーに飛び乗った。(高熱を出すのは決まって深夜だった)

 今でこそ、煙草を吸ったりしている僕だが、幼少期の僕は本当に病弱で頻繁に入院していた。母がわざわざ日本移住を考えるくらいに衛生環境はひどく、お風呂に入ると体についた石炭の煤の汚れでお湯が灰色になるような世界だった。

 一度病気にかかると最低でも一か月は入院した。あまりにも入院するから、病院の看護師さんたちともすっかり友達になった。退院する時に僕が「再見(またね)」と言うと、決まって「もう会いたくないよ!二度と来ないで」と言い返された。僕はそのやり取りが好きで、毎回、「またね」と次の入院のフラグを立てていた。

 入院生活はとてもつらかった。毎日点滴を受けるせいで手の甲と肘の静脈は全て腫れあがり、どうしようもない時には、頭や足にも点滴をされた。そんな僕の姿を見て祖父母、特に大好きだった祖父があまりにも泣くもんだから、僕は冗談を言うことになった。

 高熱で意識が朦朧とするタクシーの中で、「小児病院はもう飽きたから、次は大学病院がいいなぁ」ととぼけてみたり、入院中に「僕ね、誰が一番点滴が上手なのか知ってるよ。看護師長さんだよ」と言ったりしてみた。
 でも、なぜか僕周りを笑顔にしようと頑張れば頑張るほど、周りは泣いた。祖父母も、お医者さんも、看護師さんも、僕が冗談を言うだけで泣くようになった。僕は自分の冗談がつまらないせいだと思って、いろんな面白い冗談を考えるようになった。
 今考えればわかるけど、毎日点滴に繋がれている小さな子供が気を効かせて冗談を言えば言うほど、周りはやり切れない気持ちになるしかない。良かった、僕がスベっていたわけじゃない。

茶蛋

 そんな、退屈で、辛くて、つまらない入院生活での僕の唯一の楽しみが「茶蛋」だった。一度倒れると、呼吸器も消化器も全滅していた僕だったけど、定期的に「茶蛋」を食べることは許された。

茶葉蛋(チャーイエダン、拼音: chá yè dàn)とは軽食として広く食べられている中華料理の一種で、ゆで卵の殻にひびを入れてから茶葉や醤油、香辛料などとともに煮込んだもの。茶蛋(チャータン)もしくは茶鶏蛋(チャジーダン)ともいう。 (wikipediaより引用)

 「卵は体に良い」という理由で、病院の前には常に「茶蛋」の屋台があった。醤油と八角の食欲をそそるいい匂いがする。

 茶蛋を買ってくるのはいつも祖母だった。祖母はいつも
「おじいちゃんはどこのが一番美味しいかも知らないから任せられない」
と言って、それを聞いた祖父は唇を尖らせて拗ねた。
 そして、祖父は
「おばあちゃんはどうやって卵を剥いたら一番美味しいかも知らないから任せられない」
と言い返して、大げさな身振りで卵を剥いてくれた。僕はそんな二人のやり取りを見て「卵なんて僕でも剥けるよ」とゲラゲラ笑った。僕は祖父のユーモアが大好きだった。

美味しさの正体

 祖母が買ってきて、祖父が剥いてくれた茶蛋は、とても美味しかった。口いっぱいに頬張ると、しょうゆと八角の味がぶわーっと口に広がって、あとから卵の美味しさがやってくる。心が満たされる。茶蛋を食べている間は、病気を忘れられた。

 僕が茶蛋を美味しく頬張るとき、祖父はいつも言ってくれた。

「この茶蛋はお前のお母さんが日本で働いて送ってくれたお金で買ったんだよ。お母さんは今日本で頑張っているから、お前も病気に負けちゃだめだ。病気に勝って、日本に行って、沢山勉強して成功する。分かるな?」

「うん!」

 僕は大好きなお母さんを思い出して、胸がキュッとした。

 ハラボジ(おじいちゃん)と
 ハルモニ(おばあちゃん)と
 オモニ(お母さん)が
 買ってくれた茶蛋

 祖父が添えてくれる母の愛で、茶蛋は最高の料理に仕上がる。

この投稿はアンソロジー「最高の一皿」参加作品です。

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