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花譜

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四季の花や植物との出会い。古道具と花、写真で綴る短いエッセイ。
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#花写真

秋のブーケ 私の花仕事

私が、もうかれこれ13年もの間、担当している花の仕事がある。 花の通販サイト『花問屋アソシエ』さんでの『花レシピ』の製作と撮影。『うきうき花レシピ』という、気分も揚る名前をいただいている。 毎月一回、季節の花の紹介とそれを使った作品を製作し、撮影する。 事前にデザインを決めて、花材を発注。 当日は丸一日かけて8作品程度製作しながら工程を撮影していく。 今年からは動画撮影も加わり、どうお見せしたらいいいか工夫しながら、スタッフ皆で試行錯誤しながら進めている。 特に、プロのカメ

from Christmas to New year

慌ただしく日々は過ぎ、先週は早くも『クリスマスから新年』をテーマにした製作撮影の仕事。 毎年クリスマスも初めていないのでなんとなく気分が乗らないものだが、柔らかい春の花に触れて香りを嗅ぐと、ああ、春の花はいいと思う。 フローリスト時代、いつも『なんとかならないかな』と思っていたのが、クリスマスからお正月の店内展示の大どんでん返し。 12/26午前中に、ポインセチアやクリスマス飾りをしまい、12月第二週ごろからバックヤードに控えていた千両や松の取り出しとお正月飾りの展示を終わ

秋桜と野紺菊

この頃、いつも何か忘れ物をしているように思う。 11月は、年末までの準備で何かと忙しい。 心と時間に余裕がないことにストレスを感じる。 ああ、いけない、いけない。 そんな人間のことは関係なく、秋桜はたおやかに風に揺れている。 花はいい。見ているだけて、心が休まる。 先日のワークショップでは、お茶の先生とコラボし、秋の花を籠にいけ、お手前を習い、心をリセットできる時間が過ごせた。 こちらは、秋桜をイギリスアンティークのチャイルドバスケットにいけていただいた。 秋桜のような花

NICOさんの庭 鎌倉石窯ガーデンテラス

久しぶりに鎌倉の浄妙寺さんの中にある『石窯ガーデンテラス』を訪ねた。 その後、あの庭はどうなっているのだろう。 まずは、エントランスより。 たわわに花をつけた柏葉紫陽花やアナベルがが枯れた花をつけたままで迎えた。自分の庭ならば、夏の間に花だけ切り取ってしまうところだが、このままにしているのには、何か意味があるに違いない。 少し寒くてどんよりとした雲の下、雨もポツポツと落ちてきた。 それでも、私たちは迷わずテラス席を選ぶ。 まずは、スイーツ。飲み物はやはりここではハーブティ

久しぶりに自分のための花を買った

約2ヶ月ぶりに自分のために花を買った。 ダリア (黒蝶)、秋色水無月(紫陽花)、野薔薇の実。 実は、7月まで当たり前のように自宅に切り花を購入していけていたのだが、ふと思い立って辞めてみることにした。 花を飾っていた棚の上は、空の花瓶のまま2ヶ月以上が過ぎた。 辞めてみた理由1 ここ2年前からの騒動で花の仕事も減り、初めの頃はどうしていいかわからず、『できることを続けて行こう』と決め、『花のある暮らし』と『季節感』を広く伝えたい思いで、自宅に花をいけては写真を撮り、SNS

秋は紫

一昨日あれだけ気をつけていたのに、未だ残存した蚊に刺され悔しい思いをした。しかし、今日から空気は一変。日中の気温は20℃を下回り、慌てて膝掛けを引っ張り出している。 お稽古の鉢植えの桔梗が、冷たい秋雨に晒されながら、少し色づき始めた紅葉の盆栽の横で揺れている。 桔梗は夏7月〜10月初旬に花をつける。 夏のお寺の庭先などに咲いているので、夏の花かと思いきや歌では秋の季語。 ちょうど昨日、書道を嗜んでいた母親が、秋の和歌の作品を実家の和室に飾っていた。一緒に読んで意味も聞いたの

秋風に身を任せて 秋明菊

昨日は、記事を書こうとPCへ向かったが、流石に台風による低気圧降下に押し潰されて無理だった。 ようやく和らいだところで、いよいよ秋の花の話をしようと思う。 秋の庭の草花で一番好きな花、といえば秋明菊。 ピンクもあるが、白がいい。 マットな白い花弁が秋風に揺れる様子は、眺めているだけで『ああ、やっと秋が来たな』と。 こちらは、横浜の『港の見える丘公園』にて、昨年モノクロフィルム撮影したもの。この公園の植栽は、いつもセンスがよく四季折々目を楽しませてくれる。 秋明菊について詳

初秋の仙人草

暑さも和らいで、ほっと一息。 気がつけば、街路樹や野山の景色も少しづつ変わっていた。 山道を運転しながらそろそろかなあ、とよく見てみると木の枝に所々白いふわふわとした雲のようなものがが載っている。 仙人草だ。 仙人草は、クレマチスの一種で、別名『ウマクワズ』とも言われる。 こんなに可憐で素敵な花なのに茎や葉の汁に毒があるのだ。 仙人草は秋も深まる頃になると、こんな風に種がはじけて、まさしく仙人のような髭を出す。 仙人草の近似種で『ボタンヅル』というものがある。 茎も仙人草

晩夏の向日葵

お盆を境に空気が一変した。 連続した猛暑日も終わり、時折小雨も混じる不安定な初秋。 雨の中も最後の命を振り絞るように鳴いている蝉が物悲しい。 映画『ひまわり』、ツールドフランスの沿道の『ひまわり』。 どこまでも続く向日葵畑。 路地や畑の脇に咲く一本の大きな向日葵。 向日葵の花が夏の象徴であると共に誰もの心に残るのは、人ほどほどの背丈と丸い花が、人型のように見えるからかもしれない。 随分大人になった今、燦々と夏の陽を浴びる向日葵よりも、初秋の枯れ始めた種になりかけの向日葵が

儚い夏の花 芙蓉、木槿、葵

連日の猛暑の後、ついにお盆に台風。 夏が嫌いで辛い毎日だったが、クリスマスの頃の冬の空気を想像しながら、きっといつかは終わると信じて2週間過ごしてきた。 こんな夏の中にも元気な花はある。 英名でハイビスカスに属する芙蓉、木槿、葵だ。 花型と花芯の形がそっくりなので、葉を見ないとわかりにくい。 また、朝咲いて夕方には閉じる一日花。露草も一日花。 過酷な日差しにも負けずに咲いた分、夏の命は儚いもかもしれない。 まずは、酔芙蓉。 葉が木槿に比べて大きく、手を広げたよう。 この

夏の百合 その場所で咲くこと

先週のお稽古で使った向日葵は、やはりこの猛暑であっという間に枯れてしまった。いけられた花は、夏は特に長持ちしない。 これまで季節がなんであれ、花をいけることを当たり前に続けてきた。 しかしこの数年、植物の自然環境下での生き生きとした姿、在り方を注意して見つめるようになり、その面白さに惹かれるようになった。 最近は、生産された花をデザインしていけることが少し辛くなることがある。 ただ、美しいという花よりも、それぞれの環境下での『姿や在り方』を見つめる方が愉しい。 山百合。

返り咲きのクレマチス

5月にバルコニーで満開になったクレマチス。 梅雨に入る前に、花がらを摘み、伸びた蔓を整えておいた。 狭いバルコニーでは、リビングからよく見えるメインの位置から、花盛りの時計草の背後に回っていたものの、忘れた頃にまたポツポツと花をつけた。 まさに返り咲き。アンコール劇場。 晩年の名役者のようだ。 返り咲きは、儚い。 花も小さいし、蔓も細い。 でも、よくぞ咲いてくれました。 一旦梅雨明け宣言の後、梅雨に逆戻りしたかのような土砂降りの雨の朝。 きっと、雨に打たれて花も落ちてしま

ソーダ水の向こう 神奈川県立近代美術館 葉山館

多分今日なら大丈夫そう。 R134を東へ走る。 いつも混雑してうんざりの七里ヶ浜のカレー屋の前も、ほぼ滞りなく通過。 休日は、このルートは走らないのが鉄則。 これなら会館前に間に合うだろう。 江ノ島、由比ヶ浜、材木座、逗子海岸と人手はまだ少なめ。 平日朝の海岸は、ほぼローカルな人々の時間帯。 信号待ちで、風に揺れるカラフルな海の家のパラソルが目に映るが、映像をみているようで、自分とは無縁な世界だな。と思う。 渚橋交差点を過ぎると、道が細くなる。 バスが来るとすれ違いに注意

モノクロの時計草

7月は、梅雨末期から夏に変化する微妙な月。 梅雨明けが長引いて太陽が待ちきれなかった年もあれば、今年のように早くに梅雨明けしたものの、また逆戻りのような不安定な年もある。 この時期、人間も気候に合わせて体の調子を整えるのが難しい。 しかし、植物は柔軟だ。 年によって、遅かったり早かったり、沢山花を付けたり、または寂しい年もあるが、時間にになると咲いてくる。 時計草。 鎌倉の光則寺さんの手前にある幼稚園の壁一面の時計草。 毎年、楽しみにしている。 先週、様子を見に行ったが、今