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誕生日といういちにち

誕生日というのは年々、何を感じていいのかよくわからなくなる日だ。子どもの頃はあんなに待ち遠しかった日曜日や夏休みが、大人になるとただの平凡な休日になってしまうことと似ているかもしれない。

昨日は、日付が変わるとメールで必ず1番にハッピーバースデーとメールが届き、何十年も欠かさず図書券を贈ってくれていた父が亡くなって3回目の私の誕生日だった。

無人の実家を整理するために帰省すると、いつもそこにいた父親の姿が見えなくなってさびしいとか悲しいという気持ちはいつの間にかなくなったのだけれど、この日が巡ってくると、もうメールも来ないし、図書券も送られてこないのだなあとふとした隙間に考える。

SIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporary, SIGMA fp


認知症で、高齢者施設で穏やかに暮らしている母に、アレクサ経由で「今日はなんの日しょ?(熊本弁)」と聞いたところ、「あんたの誕生日」と答えた。

覚えてたんだねー、何歳と思う? と聞いたら、64歳だと言う。全然違う。

本当の年齢を言うと、「なーん、変わらんたい(同じようなものでしょう)」と笑っていた。

母はレビー小体型認知症と診断されており、表情がなくつねに能面なので感情が読み取りづらいのだけれど、笑っているのだと確かに感じた。私もつられて笑った。

SIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporary, SIGMA fp

短文SNSを開くと、ビジネスはこういうものだとか人生はこういうものだと歯切れ良く断定する投稿があふれている。けれど、仕事も生活もそんな単純なセオリーに押し込められるものじゃない。

だから「誕生日は今までのことを親や周囲に感謝する日なのだ」と書いてあって、そういうものかなあと考えたこともあったけれど、まずはおめでとうという言葉を一身に受け取って幸せな気持ちになって良い、と思う。

SIGMA 45mm F2.8 DG DN | Contemporary, SIGMA fp

ひたすらに娘の幸せを願った父と母から、手放しのおめでとうという言葉を聞くことができなくなって、その気持ちを私も手放しで受け取ることが大切だったのだろうなあと考えることがある。現役で「娘」をやっていた頃はなかなか素直にそうはできなかった。

今、友人からであれオンラインショップからの割引を知らせるメールであれ、おめでとうという言葉はとてもうれしいのだけれど、果たして今日という1日に、私は何を感じればいいのだっけ、と戸惑う気持ちも同じくらいあった。

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