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タイガーが死んだ

実家から連れて帰ってきた4匹の老猫のうち、タイガーという雄猫が6月半ばに死んでしまった。慢性腎不全で1年あまり闘病していた。

実家から猫が東京の我が家にやってきた顛末はこちらの『日経xwomanARIA』に書いている。

そもそも東京の我が家には、先に2匹のノルウェージャンフォレストキャットがいた。父の死によって実家に取り残された4匹の老猫を連れてくるに当たっては、実家の近くの動物病院で健康状態を検査しており、問題ないでしょうという言葉をもらっていた。

実際はそうではなかった。

その時3.1キロあったタイガーが我が家にやってきてから数か月。なんだか痩せているような気がして気になっていたのだが、旺盛な食欲で排泄も問題ないのでさほど気にしてはいなかった。

バカだったなあ。私には知識がなかっただけなのだった。

猫は高齢になると高い確率で腎臓病になる。今なら知っている。検査でどの項目を見れば良いかも、どんな食事に切り替えれば良いのかもわかっているし、自宅で猫に点滴もできるようになった。でもその時は知らなかった。老猫の面倒を見た経験がなかったから。

実家の近くの病院で検査してもらった数値を改めて見ると、明らかに腎臓病の値を示していた。素人の私でもわかる。なぜ医師は、東京に行ったらすぐに腎臓病の治療を開始してくださいと言わなかったのだろうと今でも不思議に思っている。

動物病院に連れていくと、体重は2.4キロに落ちており、極度の脱水ですと言われた。検査したところ、慢性腎臓病、しかも最終ステージだと告げられた。

病院に週に2回通い、点滴を続けていた。なかなかの時間負担だったけれど、コロナ禍で出かけなくなった自分自身の散歩であり、運動不足の解消もできるととらえて乗り切った。

目に見えるほどどんどん痩せていったけれど、それでも元気そうにしていた。食欲もあって、元気に遊んでいた。しかしだんだん、点滴では脱水の速度に追いつかなくなった。

ある日、実家に1週間滞在して東京に帰ってくると、尿毒症になって立ち上がれなくなっていた。その間来てくれていたキャットシッターさんに聞いたところ、前日まではちゃんと歩いていたそうだ。

行きつけの病院は連休で閉まっていたので、慌ててその日に開いている病院に連れていき、即入院となった。約10日間、点滴と投薬をおこなった。退院してきてからは、自宅で毎日朝昼晩3回、私の手で点滴をすることになった。

退院するときに、もう起き上がることはできないでしょうと言われ覚悟していたけれど、ヨガインストラクターとして学んでいた知識を応用し、毎日、丁寧に四肢の筋膜マッサージをこの手でほどこした。自己流だったけれど、何もせずにはいられなかった。

数日後のある朝、彼はスックと立ち上がり、ヨタヨタと自分で歩いてトイレに行くようになった。このまま元気になるのではないかとぬか喜びをした。

だんだん食欲が落ちて、トイレの時以外は立ち上がらなくなり、ついにほとんど食べなくなった。ある夜、話しかけながらいつもより丁寧に筋膜マッサージをすると、ゆっくりと尻尾を振った。

それが最後になった。

その日はたまたま外で仕事だった。夕方に帰宅すると、静かに横たわり、触ると冷たかった。慌てて声をかけると、すうっと目を開いた。もうそろそろなのかもしれない。けれどそれを信じたくなくて、動物病院に連れていった。体温は低く、状態はひどく悪かった。

連れて帰るか、今夜は預けるかと問われ、長いこと迷った末に預けることにした。翌早朝に、いま心停止したと電話がかかってきた。

走って動物病院に向かいながら、まだ人も車もほとんどない明治通りで、私はワンワン泣いた。涙が止まるはずもなかった。病院でまだあたたかいタイガーの身体をなで、「よくがんばったね」と声をかけた。最後の体重はたったの1.3キロだった。

どんな別れも、後悔のないことはないと言う。あのとき気づいていれば、あのときこうしていれば、あのとき連れて帰っていれば。自宅で看取ってあげられなかったことを悔やみ、動物病院の銀色の箱の中で、ひとり静かに旅立たせてしまったことを心で何度も詫びた。

しかし、私は私のできるベストを尽くしたのだ、その時にそれが最適だと判断し、行動してきたのだと思おうとしている。

そのほうが、タイガーもきっと許してくれる気がして。


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