見出し画像

駅そば物語



「…まじか」

新型コロナウイルスの影響により三密が避けられるようになった。つまり密閉、密集、密接だ。
しかし所詮そんなものは都会での出来事であり、私が住むような地方の田舎では関係の無いものと思っていた。

都会での生活に疲れ、地方に拠点を移してからもう3年経つ。
音楽フェスで知り合った友人に誘われ、古民家を買い取ってカフェとシェアハウスを営むのだと言うその友人と一緒に瀬戸内の島に拠点を移した。穏やかな海に囲まれた、温暖な島での暮らし。
忙しない世の中の出来事から解き放たれ、自然と一体になって呼吸するように日々を営むその生活は、他人からすれば羨むような生活であったかもしれない。
しかし人とは贅沢なものだ。
その生活は言ってしまえば刺激がない、という意味でもある。
丁寧な暮らしをすればするほどに、雑でジャンクなものに焦がれてゆく。

そんなわけで月に一回程度、なんとか打ち合わせの機会を設けては、都会へと繰り出すのがたまの楽しみとなっていた。もちろんその時には思いっきりジャンクなご飯でお腹を満たす。
無機質でぶっきらぼうなご飯が食べたくなるときだって人にはあるのだ。
バックグランドのあるご飯ももちろん好きだ。でなければ縁もゆかりもない瀬戸内まで来たりはしない。
でもいちいち「漁師の○○さんが毎朝5時に捕ってくる新鮮魚介類!」とか「農家の××さんが荒れ地を開墾して作った畑で採れる新鮮野菜!」だのと過剰に情報の乗っかった食材に触れているとうんざりとする瞬間がほんの時たま訪れるのだ。
そんな訳でいつから駅のホームにあるのだか判然としない、長年の油で薄汚れた壁に、ぼろぼろになって読めやしないメニューを掲げて、無愛想なおじさんが営んでいる駅そば屋でサラリーマンのおじさんよろしく蕎麦を一杯手繰るのを楽しみにいそいそと駅のホームにやって来た、のだが。


締め切られた扉の前に貼られていた貼り紙には無情にも「新型コロナウイルスの流行を鑑みて暫くの間営業を自粛いたします」と書かれていた。

「まじか」

私は呆然と貼り紙の前で立ち尽くす。
ホームの中央で立ち尽くす私を他の乗客が不審そうな顔で眺めて通りすぎていく。
暫くはショックで呆然としていたが、ここでずっとこうしていても仕方ない。私は諦めてとぼとぼとその場を去ろうとしていた。その時後ろから声をかけられた。

「よう、そこの姉ちゃん。あんただ、あんた」

私は自分の顔を指差しながら振り向く。
するとそこにはお酒が入っているわけでもないのに赤ら顔のおじさんがニコニコしながら立っていた。
誰だろう。もちろん知り合いではない。

「あたしに何かご用ですか?」
「おう、そんな警戒すんなって。別に取って食おうってんじゃないからよ」

どうなんだろう。どちらかというと取って食いそうなビジュアルだけれども。

「さっきからじっとその貼り紙を見ていただろう。姉ちゃんもここの蕎麦を食いに来てたくちかい」

げ、そんなに見られていたのか。ほんの僅かの時間のつもりだったけど、思っていたよりも結構長くそこにとどまっていたらしい。

「はあ、まあ」
「俺もあんたと同類なんだがな、どうにもこの店はサンミツとやらに引っ掛かったらしくてよ」

なるほど。確かに狭い店内で客同士がぎゅうぎゅう詰めで食事をしているこの店は三密にも程があったろう。
改めて考えてみると当然といえば当然のように思えた。まあ仕方ないか。

「今のご時世じゃしょうがないですよね」

そう言って私はその場を去ろうとする。

「待ちな姉ちゃん。…ここの蕎麦、久し振りに食いたくはないかい」

ニヤリと笑いながらおじさんが言ってくる。まるでいたずらっ子のような笑みだった。

「そりゃ食べたいですけど」
「案内してやろうか」
「どこにですか?」
「ここの蕎麦が食べられるところにだよ」
「え?」

おじさんは「着いてきな」と言って、こちらが着いてきているかなど確認もせずすたすたと歩き出した。私は慌てておじさんの後を追いかける。おじさんは改札を出るとガード下に沿って歩いていく。しばらく歩くとあたりは閑静な高級住宅街といった風情になってきた。こんなところで本当に蕎麦が食べられるのだろうか。
おじさんは一軒の建物の前で足を止める。扉の前には暖簾が掛かっており、「割烹 高橋」と書かれている。
おじさんは物怖じすることなく扉をがらがらと開けて中に入っていく。
「え、ちょっと」さすがにそのまま後をついていくのが躊躇われたのだが、おじさんはこちらを振り向いてちょいちょいと手招きをしてくる。私がおそるおそる暖簾をくぐるとカウンターが設えられており、その向こうにいつもの無愛想な表情で蕎麦屋のおじさんが立っていた。

「…あ、あのお久しぶりです」

蕎麦屋のおじさんは私を覚えていてくれたのか、無言で頷く。
カウンターには私をここまで連れてきてくれた赤ら顔のおじさんが既に座っており、「こっちのお姉さんにも蕎麦を一杯お願いね」と勝手に注文までしてくれていた。
私もカウンターの席につき、蕎麦の出来上がるのを待つ。
待っている間に赤ら顔のおじさんが語ってくれたところによると、元々蕎麦屋のおじさんは本業がこちらの料亭で、蕎麦屋は半ば趣味で営業していたらしい。しばらくしてから出されたお蕎麦は確かにあの駅そばの味だった。だけどなんでだろう、高級料亭の味だと言われてもそれはそれで納得もできそうだ。私は意を決して尋ねてみる。

「ええと、あの駅そばの味って…」
「この料亭の蕎麦の味だよ」

なぜか赤ら顔のおじさんのほうが答えてくれたが、私はがっくりと突っ伏した。

なにがジャンクな味だろうか。結局のところ、私は純粋な味だけでなくて、シチュエーションやロケーションも含めて蕎麦を味わっていたのであり、それはもう物語を食べていたと言ってもいいだろう。
この料亭でいつもの駅そばを手繰っていることだってひとつの物語。

たとえ大っぴらに描かれていなくても、そこかしこに物語は潜んでいるのだ。

一杯の駅そばから紡がれた物語に敬意を評しながら、私はおつゆを飲み干した。

ごちそうさまでした。


更なる活動のためにサポートをお願いします。 より楽しんでいただける物が書けるようになるため、頂いたサポートは書籍費に充てさせていただきます。