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タイムリミット


次々と打ち寄せる波は、波打ち際に立っている私の足元の砂を攫っていく。
砂が攫われるたびになんとなく不安定な気持ちになって、私はその都度立っている場所を移動する。
それでも波が来るたびに、足元は常に覚束なくなってしまい、それは今の私の置かれている状況そのもののように思えた。

隣を見れば、琉莉は揺れる足元に怯えることなく、しっかりと砂を踏みしめて立っている。
その姿はたとえようもなく眩しくて、私は思わず目を細めた。


琉莉と私は学校帰りにこの砂浜に立ち寄るのが習慣だった。


偶然見つけたこの場所は、道路からは大きな岩に隠されて、ここに砂浜があることに気がついている人はほとんどいなかった。
広さにすればたった十畳ほどの狭い砂浜だったけど、二人には十分。ここは私と琉莉の二人だけの秘密の場所だった。

靴を脱いで裸足になって、波打ち際で二人佇んで遠くの水平線をじっと見つめる。

ここで色んなことをお喋りしてきた。家庭の事、勉強の事、男の子の事。
たぶん他の誰にも話せないようなことも、琉莉はなんでも話してくれた。

私も琉莉に対してはなんでも話す、……ふりをしていた。
結局私は、肝心なことは何一つ話せないままだったようにも思う。それでもこの場所に琉莉と二人でいるだけで、私は救われるような気がしていた。

何を話すでもない無言の時間。
二人で波打ち際に座って、ただずっと寄せては返す波の音に耳を澄ませる。

この時間がとてつもなく貴重なものであることを、私はなんとなく理解していた。

夕日の光に照らされて、赤く染まっていく横顔をじっと見つめる。
彼女の隣という特等席にいられる時間は、残り少なくなってきていた。

夏の終わりは青春のタイムリミットを嫌でも思い知らせてくる。

来年の夏にはきっと琉莉はここにはいない。

彼女はもうすぐ子どもという名の檻から出ていってしまう。その背中には自由の翼が見え隠れしていた。
それは私という少女時代の鎖からも彼女を自由にしてしまう。

夕日が眩しくて、私は水平線から顔をそむけた。後ろを振り向いて、私たちを隠している大きな岩を見つめる。
ごつごつとした岩肌は、うっかりと触れれば皮膚を深く切り裂くような鋭利な先端を光らせている。

できることなら私という鎖で、彼女をこの岩に括りつけてしまいたい。それはとても甘美な誘惑だった。


「暗くなってきた。もう、時間だね」

琉莉が呟く。太陽は水平線の彼方にその身をすべて隠してしまった。

夜の帳が二人の間にひそやかに降りてくる。
星の光はとても遠くて、彼女の横顔をおおう夜のヴェールを打ち払うには、あまりにも弱かった。


琉莉は立ち上がり、この砂浜を、私たちの秘密の小部屋を去っていく。その足取りには迷いはなくて、私は思わず彼女の手を掴んだ。

振り向いた琉莉は、私の目を見て小さく微笑む。
全てを悟っているかのような透き通った眼差しに、私はたじろぎ、手を放す。


喉元まで出かかっているはずの言葉が、つかえたように出てこなかった。


「時間だよ」

タイムリミットを無情に告げる琉莉の声。

再び歩みだした琉莉は、もう二度と振り返らなかった。


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