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かわいいの感性
「あ、かわいい」
思わず、といった感じで上がった声に私はちらりと横を見る。
横を歩いていたマリコは手を体の前で合わせてキラキラした目で一点を見つめている。
私たちが歩いているのは片側2車線の大きな道路に沿って続く歩道だ。
ところどころに街路樹が植えられ、お洒落なカフェやセレクトショップが立ち並ぶ通り。イメージとしてはパリのシャンゼリゼ通りといったところだろうか。なんだっけ、ブールバールというんだっけか。
休日の昼下がりだからか人通りもそこそこあるけど、一体何が彼女の目を引いたのだろうか。気になった私は彼女の視線の先を追いかけてみる。
通りに面して建ち並ぶ店々には人の目をひくように様々なディスプレイが陳列されているけど、彼女の視線は車道側に向けられている。通りの反対側に目をやると、そこにあるのは病院だった。
いやまさか病院をかわいいとは呼ばないだろう。私は歩みを止めずに聞いてみる。
「ねえ、なにがかわいいの?」
「え、あれだよ、かわいくない?」
マリコが差す指の先には一台の車が止まっている。
「ん、まさかあの車のこと?」
「そうそう」
その車は貨車を牽引する大型車、いわゆるトレーラーヘッドと呼ばれる車だった。今は後ろの貨車部分を牽引しておらず、牽引車だけの状態だ。確かにこんな街中で見かけることは少ないとは思うけど、かわいいか、あれ?
「そう?かわいいでしょ?」
「それはどうかなぁ……」
同意をためらう私に対してマリコは切々とトレーラーヘッドのかわいさをアピールしてきた。
「だってあんなに頭でっかちで一生懸命走ってるんだよ。赤ちゃんみたいでかわいいよ」
「赤ちゃんに見える、かなぁ…?」
私にはあんまりピンとこなかった。
「目だってなんか離れてるし、下にあるし」
「目?ああヘッドライトのことね。確かに普通の自動車よりは離れているし、低い位置にあるわね」
「おでこ広いし」
「フロントウィンドウも確かに広いわね」
そうやっていちいち説明されると確かに赤ちゃんみたいに見えてくるから不思議だ。マリコの言葉は時々妙な説得力がある。そこまで考えて私はふと気になった。
「そもそも赤ちゃんがかわいいと思うのってなんでなんだろう?」
「かわいいからじゃない?」
「禅問答みたいな答えしないで欲しい」
一度気になりだすと気が済まなくなるのが私の性分だ。ちょっと待って、とマリコに告げると私は歩道の端に寄り、スマホで『赤ちゃん かわいい 理由』と検索してみる。心理学を取り扱ったページでそれっぽい答えが出てきた。マリコにも聞こえるように読み上げる。
「なになに、赤ちゃんがかわいいと思うのは姿形に特徴があるからです」
「ふんふん」
「その特徴は『大きな顔』『目と目の間が離れている』『目鼻が低い位置にある』『丸くてずんぐりした体形』」
「ほら!やっぱり!」
ふふん、と勝ち誇ったようにマリコがこちらを見てくる。うん、さっき挙げた特徴と合致しているのは確かだ。思い返してみるとマスコットキャラクターもわりと同じような特徴を持っているような気がする。
感性の問題だと思っていたけど、こうして理屈づけられると私でも納得せざるを得ない。おかしいな、私もそこそこ感性には自信があったつもりなんだけどな。再び通りを歩きだしながらマリコが言う。
「やっぱりそうだったんだね。わたし前からあちこちでそう言ってたもん」
「そうなの?」
それにしてはマリコからはそんな話を聞いたことがない。
「そうだよ。たまーにインタビューされる時とかでも一生懸命説明したし」
「それはやめときなさいよ」
モデルとして働くマリコのインタビュー記事を見たこともあるけど、そんなことは一行たりとも書いていなかった。クールなイメージで売っているはずだから、きっとライターの人は苦労したことだろう。同じライターという仕事をしているだけに同情してしまう。
「でもこれからはさっきの説明すればいいんだもんね、やっぱりりっちゃんに言ってみるといいことあるね」
「いやそれはやめときなさいって」
そうは言ってみたものの、普段のマリコを見ていると、クールなイメージとはほど遠い。私の感性からすればよっぽど普段のイメージの方がかわいいし人気が出るとも思うのだけど、それはそれで私しか知らないマリコの姿だから、まだちょっと他の人には見せたくないな。心もちスキップ気味に先を歩みむマリコを見ながら私は思うのだった。
「そう思うとこう、トレーラーヘッドってごろんと転がしてやりたくなるよね。足払いかなんかで」
「いやそれはないかな」
はい、そうですか。ごめんなさいね、かわいいの感性が違ってて。
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