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三十五年目のラブレター 第10話

 クリムトの前のソファセットには、ギャラリーから戻った中橋夫妻と、詩穂里、島崎と、署から戻った吉井が揃っていた。もちろんチョコも一緒である。
「そういうわけで、結果的に川畑が詩穂里さんの替え玉として犯人に誘拐された形になりました。川畑は私が仕込んでいますから心配要りません。恐らく上手く詩穂里さんの役をこなしていると思います」
 吉井が簡潔に現在の状況を説明すると、中橋夫妻から安堵とも不安とも取れない溜息が漏れる。恐らくどちらもあるのだろう、娘でなくて良かったというのが正直な親の感想だというのは理解できる。
「エコール・ド・パリは即刻中止してください。中橋さんと奥さんはできる限り外出を控えていただきます。詩穂里さんが誘拐されたとしたらどういう行動をとるか、それを想像なさってください。それと、詩穂里さんは完全外出禁止です。窓にも近寄らないでください。電話、メール、SNSなども一切禁止です。スマホも電源を切っておいてください。我々との連絡は、お渡しした携帯電話で行ってください。あなたは現在誘拐されているので、そのおつもりでお願いします」
 吉井の説明が一段落ついたところで、島崎が本題に入った。
「つかぬことをお伺いしますが。先日逮捕された都議会議員の西川修さんはご存知ですか?」
 吉井と中橋が同時に島崎に顔を向ける。西川のところにも同じように『一番価値のあるものを奪ってやる』という手紙が来ていることは、まだ吉井には報告していなかったのを、島崎は今更のように思い出す。
「西川さん、大学で一緒のサークルに入っていました。ほとんど接点は無かったんですが」
「何のサークルですか」
「登山サークルです。とは言っても軽いトレッキングのようなもので、本格的なものではないんですけど」
 吉井が島崎の隣で「何を訊く気だ」という顔をしている。そりゃそうだろう、先に報告しておけばよかった。
「登山サークルは何人くらいいたんですか」
「七人でした。顧客名簿にあったと思いますが、川井建設の阿久津文明さんも同じサークルでした。阿久津さんもその当時は同じサークルとは言えほとんど接点がなかったんですが、卒業してからはうちのお得意様になってくれました。西川さんの方は大学を卒業してからはほとんど会っていません」
 同じ怪文書が届いた西川と、大口顧客の阿久津が、同じサークル。阿久津にも怪文書が届いていればこの関連だということになる。
「同じサークルなのに接点が無いとは、どういうことでしょう」
「サークル内部で二つのグループに分かれていたというか……西川さんと阿久津さんと、他に内藤ないとうさんという女性、もう一人、木立きだちさんという女性の四人は、アウトドア仲間でした。いつも四人でバーベキューに行ったり、キャンプに行ったりしているようでした。残りの私と、桐谷きりたに…ああ、名前は何だったかな、とにかく男性です、彼とあともう一人、宮脇みやわきさんという女性が純粋なトレッキング仲間でした。宮脇さんと桐谷さんと私はちょっとした山に日帰りで行くようなことがよくありましたけど、あとの四人がどこで何をしているかはほとんど興味が無かったので」
 もしもこのメンバーの中に同じような手紙を受け取っている人間がいれば、サークル関係ということになる。そうでなければまた新たに西川と中橋の別の接点を探すほか無い。
「西川さんとはそれ以外で会う事はありましたか?」
 中橋は怪訝な顔を見せると首を捻った。
「西川さんは都議ですし、うちの顧客でもないので……」
「何か同じ団体に所属しているということは」
「無い……と思いますけど」
「ちょっと失礼します」
 いきなり吉井が立った。島崎の肩をポンと叩く。何を聞かれるのかは、ほぼ想像がつく。クリムトの部屋を出ると、早速予測通りの質問が飛んできた。
「西川がどうしたんだ」
「実は、西川のところにも届いていたんですよ、同じような手紙が」
「本当か」
「だから自分がこうして二課から応援に来る羽目になったんですよ」
 それを聞いて、吉井が「なるほど。そういうことか」と腕を組んだ。
「で、島崎はどう思う?」
「恐らく同一犯です。自分が西川の取り調べしたんで間違いありません。阿久津も自分が担当したんですよ。阿久津は手紙のことは何も言ってませんでしたが、訊けば何か思い出すかもしれません」
「出て来ればビンゴだな」
「ちょっと阿久津のところに話聞きに行ってきます」
「よし、頼んだぞ」
 吉井は島崎の肩を叩いた。

 ***

 阿久津は島崎の姿を見るなり、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「なんだ、またあんたか。もう話は終わったんじゃないのか」
「ああ、悪いね。別件だ」
 拘置所生活で少しはスマートになったかと思ったが、大して変わっていないようだ。頭の方はバーコードをセットできないせいか、見るも無残な落ち武者スタイルになっている。
 阿久津がドカッと腰を下ろすと、パイプ椅子がぎぎっと頼りなく悲鳴を上げた。パイプ椅子に同情の視線を送りつつ、島崎は早速切り出した。
「拘置所は慣れたか?」
「何の用だ」
 お喋りする気はないらしい。それならストレートに聞いた方が島崎も時間の無駄が省けるというものだ。
「単刀直入に聞こう。会社の金を使い込んでいたことを内部告発される前、予告のようなものがあったんじゃないか?」
「予告? 今から内部告発しますってか?」
 阿久津は笑い出した。いつ話してもこの男のふてぶてしい態度は癇に障る。笑っていられるのも今のうちだ、と島崎は気を取り直した。
「いや、もっと抽象的な。大切なものを貰う、とか。価値のあるものを奪う、とか」
 島崎が言い終わる前に阿久津の顔から笑いが消えた。
「俺の他にもいたのか」
 ビンゴか。
「一番価値のあるものを奪ってやる、だな?」
「告発したのは経理の人間じゃないってのか?」
「悪いな、捜査上の秘密だ」
「くそったれ」
 阿久津は椅子ごと横を向いて、背もたれに体を預けた。今までのような革張りのチェアと違って、貧弱なパイプ椅子では阿久津の体重を支えるのに心許ない。
「デジタルだったか?」
「アナログもいいとこだ。大昔に流行ったような、活字の切り貼りだ」
「活字は何を使ってた? 新聞の見出しか?」
「いや、新聞じゃなかったな、何かの雑誌か小冊子の活字だろう」
 犯人は新聞を取っていないのか。それとも新聞を使うとどこの新聞の活字かわかってしまうため、足がつかないようにわざと別の印刷物を使ったのだろうか。
「それは今どこにある?」
「イタズラだと思って捨てたからな。とっくにイチョウのマークの青い車が回収してったよ」
 つまり燃えるゴミとして、先月中に処理されたということか。
 少なくとも、阿久津、西川、中橋は繋がった。今のところこの三人を繋ぐのは東都大学登山サークルOBという一点だけだ。ここから崩していく他無い。木立、内藤、宮脇の三人の女性と、桐谷という男性、まずはこの四人を探さなければならないだろう。
 「また来るよ」と言って島崎は阿久津に背を向けた。「もう来るな」という阿久津の声には、聞こえなかったふりをした。

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