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ONE三部 第一話 鍵を手にして

 カツミは今年の春で三十歳となり、ジェイがこの世を去った年齢を超した。
 あの嵐のような十年前の冬に死から生へと舵を切ったカツミは、シドを手元に残すことで生を繋いできた。
 しかしもうシドはいない。二人は離別し、シドは南部の外れにある小さな町に移り住んでいた。もう二度と会わないと言葉を残し、しかしずっと見つめているからと視線で伝えて、シドはカツミの手から離れていった。

 この十年の間に特区は世代交代が続いていた。
 最高責任者であったグレイ中将がその座を後任に譲って退き、カツミは大佐に昇進していた。
 アーロンの計画は着実に進んでいる。あの避難船事故によって権力者の半数を葬り去ったあと台頭してきた若い世代の中には、かつての開拓者としての志を受け継いでいる者もいた。
 それはまさに野を焼き払った後に芽吹く新しい生命。老いた樹々が倒れ去った後に伸びた若い枝だった。

 ◇

 ある夜、カツミは不思議な夢をみた。

 夜の砂浜。満天の星が瞬く漆黒の天蓋。波打ち際に立つ女性がカツミに語りかけた。
「私は貴方を待っていたの」
 海風になびく髪。透けるような白い肌。大きな瞳。真っ白なドレスの裾は打ち寄せる波に濡れていた。
 裸足の白い指を砂浜に埋めながら、彼女はカツミの前まで歩いてきた。
 カツミは彼女を知っていた。こんなに美しい人を忘れるわけがない。

「アーリッカ?」
 美しい王女はカツミの問いに答えず、一方的に訴えた。

「鍵を手にして。鳥籠の鍵を」
「え? なに?」
「束ねるものに出会って。この混沌を洗い流して」
「束ねるもの?」
「許しの鍵で鳥籠を出れば、貴方はひとつになれる。それが望みなのでしょう?」
「……ひとつ?」

 次にカツミがいたのは真っ白な世界。地平線の彼方までなにもない眩い世界だった。
 足元には薄く透明な水が満たされている。その水の中に座り込み、カツミは呆然と目を見開いていた。音もなく、風もなく、ただ透明な水が鏡のように光っている。

 誰かがすぐ傍にいるような気がしていた。しかしそれが誰なのかは分からない。
 カツミは思い出した。ここは子供の頃から何度も見た夢の場所だ。しかしいつもは自分ひとりだった。この白い世界に他の誰かがいたことはなかったのに。

 カツミはこの夢を見るたびに思ってきたことを、再び心のなかで呟いた。
 ここはどこ? 自分は死ぬの?
 自分は死ぬの?

 ◇

 小さく声を上げて目を覚ましたカツミは、壁の時計に顔を振り向けた。時刻は午前4ミリア。夜明け前だった。
「アーリッカ……。夢?」
 夢というにはリアルすぎる記憶が、ありありとよみがえる。

 まだ暗い窓に顔を向けたカツミは、足の裏に違和感を覚えて起き上がった。シーツの上には、こぼれた砂が散らばっている。夢の中の王女は海岸の砂浜に立っていた。そしてカツミは王女の目の前にいたのだ。

 夢か現実か。ただカツミの記憶には、王女の言葉がくっきり刻み込まれていた。
 鍵を手にすること。束ねるものに出会うこと。混沌を洗うこと。ひとつになること。
 ただの夢なのか。それとも……。

 あの白い世界。子供の頃からずっと見てきた夢。あの夢を見るのが怖くて、カツミは眠れなくなったのだ。
 困惑がカツミを襲う。足の裏についた砂を指で払い、彼はベッドから降りた。
 なんだろう。カツミは思考を巡らす。
 夢に意味を見出そうとしていることを奇妙に思ったが、この砂に理由が見当たらない。夢遊病にでもなってしまったのか。知らないうちに瞬間移動でもしたのか。それとも、あの王女に呼び寄せられたのか。

 ──神託。
 ふいにその言葉がカツミの脳裏に降ってきた。
 夢の映像に写真でしか知らないラヴィ・シルバーの姿が重なる。

「あのカード」
 とっくに忘れていた物を思い出したその時、カツミの脳裏に毅然とした声が飛び込んできた。あの王女と同じ声が。

 ──束ねるものと出会いなさい。これから連綿と続く、この国を束ねてゆくものと。そのものの指し示す事々に従いなさい。この混沌を救う神に出会いなさい。

 ◇

 その夜。カツミが一枚のデータカードを差し出すと、アーロンは何も言わずに書斎の端末に差し込み、黙したまま最後まで目を通した。彼ですら知らなかった事が、その中にはあった。
「ラヴィ・シルバーとアーリッカ王女か」
 カツミの父であるロイの遺したデータカードの内容。それはあまりにも現実からかけ離れたものだった。
 アーリッカ王女がラヴィに伝えた予言は、恐ろしい呪いを纏っていた。しかしラヴィはそれを受け入れ、百年後に希望を託しているという。
 妄想としか言いようのない記述である。ただその予言は、人知の及ばぬところで着実に進行しているらしい。
 代々受け継がれた呪いは時代を経るごとに浄化され、カツミの父で完結すると記されていた。
 百年後に現れるとされた導く者。その予言を信じるなら、カツミこそがその者ということになるのだが。

「お前の祖先は、ことごとく生贄になったということか?」
 カツミは特殊能力者の家系だと記されていた。夭折する者や病に倒れた者が多く、不条理な暴力に苦しんだり、自殺した者も数多く存在していた。
 呪いは一族に嫁いだ者にまで及んでいた。次の継ぐ者が生まれると前の世代は全て失われる。それが百年の間ずっと続き、ラヴィを含めると四世代が犠牲になったということらしい。

「最初にこれを読んだ時には、とても事実とは思えなかったんだ。もちろん裏付けなんてとれないし」
 カツミの言葉を受けて、アーロンはもう一台の端末を立ち上げた。シーバル家のデータが瞬く間に表示され、ごく短時間の間に死因や時期が洗い出される。
 アーロンの仕事を考えればそれがとても容易いことだということに、カツミは今更ながら気付かされた。

「ぴったり符合してる。なんの矛盾点もないな。不明なのは予言の一点だけだ。このデータを手に入れたのはいつだ?」
「十年前。親父が仕事で使ってたデータカードの中に紛れてた。俺に伝える気は全くなかったらしい。そのまま捨てられてもいいと思ってたのかもしれない」
「自分が最後の生贄なら伝える必要はないだろうしな。お前に話したところでどうなるものでもないだろう。で、なぜこれを私に伝える気になった?」
「『声』が聞こえるようになった。他人の思考がいきなり飛び込んでくることは俺にはよくあることだし、最初はそれと同じものだと思ってた。でも全く同じ言葉が繰り返されるのは、さすがにおかしい」
 そう答えたカツミは、ディスプレイから目を離さないアーロンの横顔を見つめた。
 やがてカツミの方に向き直ったアーロンが、昔のように一つ質問を投げる。

「今、この国に必要なものは何だと思う?」
 アーロンがこの家の当主となってからずっと地道に積み重ねてきたことを、カツミは知っていた。自分を手中にしていることの意味も。
「束ねるもの」
 カツミが切り出す。それは、あの『声』の内容から彼が解釈したことだった。

「この国を束ねるものだと思う。永続的で全ての拠り所となるような、魂が還っていくような存在。心の支えになるような、繋がりを大元から見守るような。宗教ともまた違うような気がする。思想に近いかもしれないし、意識と言い換えてもいいかもしれない」
「それを得た時が、この国の本当の意味での独立だな」

 この国の真の意味での独立はいまだ成されていない。茶番である紛争は相変わらず繰り返され、かつての王家の子孫が権力を握り続けていた。
 腐敗したこの国の改革。開拓者としての誇りを取り戻すこと。それが、カツミとアーロンの共通の目標だった。

 ◇

 現在の特区最高責任者は、カツミが初めて出兵した時に上官だったエルスト・オルソー中将。カツミの父もグレイ中将も、この百年の中で見れば改革派、急進派と言える。その意志を受け継いだオルソー中将は、輪をかけた急進派だった。
 特権階級の利益のために続けられてきた戦争。軍人以外の者にしてみれば、宇宙の彼方で行われる自分達には関係のないものである。
 遠く知らない場所で始まったかと思えばすぐに終わってしまうような争い。ミサイルにしたところで打ち込まれたことなど一度としてないのだ。
 危機感もなく飼い慣らされた百年。しかし王政が廃止されてからの十年で、この国は着実に変化していた。
 そして、その急先鋒にあるのが特区だった。

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あの日々から十年。能力の封印を解いたカツミは、アーリッカ王女の夢を見るようになった。予言の結実に向け、運命の歯車が回りだす。一度失った『纏…

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