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アデル 第九話 器

「アデルといったね。君はいくつだい?」
「十四歳です。試験運用を始めたばかりなので、失礼があったらごめんなさい」

 吉澤に添えられた手のひらは不思議と温かかった。長いあいだ、求めても得られなかったものである。孤独に対する怒りと諦め。それを抱え、自分はそんなに罪深い人間なのかと吉澤は思い続けてきた。訪れた天使に最後の懺悔をするように、彼が言葉をつなぐ。

「十四歳か。私が軍人だったのは聴いてるかい?」

 頷いたアデルに、吉澤はかつて参加していたテロ撲滅作戦について語った。彼自身も、テロリストを殺したことがあるという。

「ちょうど君くらいの少年も殺したことがあるんだ。ライフルを持って仲間を狙ってた。殺さなければ仲間が殺されていたかもしれない。だから……撃ったんだ」

 遠い過去をたどるように吉澤は黙した。抱える悔恨を言葉にするのは難しい。そのもどかしさを、コトバなど必要としない花が見下ろしている。

「アデル。君に分かるかな。人の心の中には二つの器があるんだ。私の器には、守った命と殺した命が乗っている。ちょうど同じ重みでね。それで均衡が保たれてるんだ。ただ、保たれていることで私はどちらにも傾けない。器が重くなる一方で、心が引き裂かれてしまったんだ。後はもう、なにを乗せても破れ目からこぼれ落ちていったんだよ」

「二つの器……ですか?」
「善悪の器と言ってもいい。人は心の中に、相反する器を持っているんだよ。天使と悪魔を一緒に住まわせてるんだ」

「矛盾したものを同時に持つことが、辛かったんですか?」
「そう。立ち止まって動けなくなったんだ。奪った命に見合うだけの価値が、自分にあるのかと思ってしまったしね」
「奪った命に見合うだけの価値……」

「心というものは厄介だね。作戦には多くのアンドロイド兵が導入されてたよ。命令を着実に遂行する兵器だ。将来は、アンドロイド兵が主流になっていくのかもしれないね。その是非は、ともかくとして」

 命令のままに任務を遂行することは、テロ撲滅作戦にとっては天使だ。だが、命を奪うということに関しては当然悪魔である。
 アンドロイドに心はない。全ては二つの器を持つ人間の心に委ねられる。直接現場に立たなくとも、指示を出すのはやはり人なのだ。学習が進めば最適と思われる判断をアンドロイド自らが行う。しかしそれもまた、人間の命令に返される最善のアクションである。

 矛盾したものを同時に持ってしまったことで動けなくなった。その言葉にアデルは疑問を抱く。動けなくなったのではなく、動かなかったのではと。辛い場所に立ちながら、その場所に留まり続けるということにアデルは疑問を抱く。心が引き裂かれてしまうのに、どうしてそこから逃げないのかと。
 自分にどれだけの価値を見出せるかで、人の行動は変わるのだろうか。自己承認とは、どこから生まれるのだろうか。

 ただアデルはその疑問を口には出さなかった。最適とされるものは人によって変わる。その時々、その環境によって変化する。均衡した天秤の間で、立ち止まり動けなくなってしまったという老人。その場所に留まったまま、彼はもう理不尽な病に侵され、奪った命と同じ場所に向かうのだ。

 今の吉澤に必要なもの。それは何だろうとアデルは思う。過ぎ去った昔に取り零してきたものではなく、今求めているものは何だろうと。
 人間の幸せがアンドロイドの幸せ。それがアンドロイドの行動原理なのだ。膨大なデータから導き出される疑問と、対する相手の癒しを秤にかけるのなら、アデルは当然のように癒しを取る。正しいとされることも、最大公約数でしかない。全ての人間に当てはまることではないのだ。

「兼人さん。僕に出来ること、なにかありますか?」

 孫のような年齢の少年が差し出す癒し。小首をかしげ、だが真っ直ぐに向けられた言葉に、孤独な老人はフッと目を細めた。