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ふたつのうつわ 第15話 ノーラのお手柄

 初回のテストピースは、ひとつずつ本焼きした。ある意味正解だった。酷い出来だったからだ。

 ナツキのは、まるで食べ残した生クリーム。ぐい呑みの内側だけに釉薬をつけたのだが、スプーンでかきとったようになっていた。
 大きくうねった白い釉薬と、地の色。貫入どころではない。

「前衛芸術かよ。間違って、スプーンで掬いそうだな」

 冗談半分だが、ナツキは真顔だ。もう次の対策を思案している。
 トーマのテストピースも失敗である。クリスタルの模様がまるで出ていない。ただの紫の色見本になっていた。
 釉薬は筆で塗ったが、厚みは良かったらしい。流れもなければ、ブクもない。
 釉は場合によると焼成で泡立ち、ぶくぶくとクレーターのようになることがあるのだ。

 ナツキの頭のなかは、フル回転である。素地の厚みの問題か、釉の濃度か。
 素地は問題ないと感じた。先生の茶碗の素地と変わらないからだ。
 釉薬の濃度は規定通りにしている。となると、釉の厚みか?

 釉薬が流れ落ちるのを恐れて、内側だけにかけてみたが、口縁につけた釉は流れていなかった。今度は、全体にかけてみるか。
 なにより、二ミリの釉掛けが出来るように、練習がいるようだ。

「トーマ。クリスタルの粒はどれくらいつけたんだ?」

 ナツキがトーマに質問を向けると、相手は五粒と答えた。
 釉薬の底に砕かれたクリスタルの粒が入っているのだ。釉が接着剤代わりとなって、クリスタルが固定される仕組み。しかし、星雲の元は窯の藻屑と消えたらしい。

「溶けて飛んでいったみたい。跡形もないなあ。うーん」
「んじゃ、作戦タイム。俺は釉の厚みが二ミリになる秒数をはかるよ。たぶん厚すぎたんだ」

 ナツキはタブレットでアプリを立ち上げると、一秒ごとに音が鳴るよう設定した。
 釉薬バケツの中身をしっかりかき混ぜる。沈殿のはやい釉薬なのだ。
 素焼きのぐい呑みを指で摘むと、一部分を斜めに浸して、十秒で引き上げる。
 乾燥を待って釉薬の一部を削り取り、厚みを測る。二ミリどころか、一ミリもなかった。後は、秒数を増やして確かめるだけだ。

 トーマは、紫のテストピースとにらめっこである。
 土の種類は問題ないようだ。赤土を使ったが、紫の地の色はきちんと出ている。
 なぜ、クリスタルが焼失してしまったのか。それが難問だった。しかし、どう考えても解答が浮かばない。

「にゃああ!」

 膝の上にノーラが乗ってきた。
 いつもは大人しく丸まっているのだが、お腹がすいたのだろうか。にゃあにゃあと鳴くのをやめない。

「待ってて、ノーラ。ミルク持ってくる。カリカリも食べる?」

 トーマが皿を持って戻ると、ノーラは釉薬のケースを転がして遊んでいた。
 貼られたシールが傷だらけである。かなりお怒りのご様子。

「わっ! ノーラ、ダメだってばあ!」

 慌ててケースを取り戻したトーマだったが、傷のついたシールの表示を見ると、ギクリとした。
 焼成温度1013℃。
 トーマの選んだ釉薬は、低温で焼くタイプだったのだ。
 海外の釉薬には多いタイプだが、二人には知るよしもなかった。

 ◇

「1013℃って、低温釉だな。この窯の設定って、どうなってたっけ」

 ナツキの言葉に、トーマが本棚に飛んでいった。窯の説明書を取り出すと、登録されたプログラム表を見つけ出す。
 小型の窯の本焼き温度は六種類。一番低い温度の設定が、1220℃。
 プログラム表を睨んでいたナツキが、ゴクリと唾を飲む。

「これ。自分で焼成プログラムを設定しなきゃいけない」
「ナツキはやったことあるの?」
「……ない。ここの工房は全て1230℃で焼ける釉薬だから、いつも同じ温度で焼いてたんだ」
「じゃあ、この釉薬は使えないってこと?」

 眉をひそめる相手に、ナツキが首を振る。

「いや、他のプログラムを参考にして組む。やってやる」

 炙り。攻め。練らし。冷まし。その四項目の温度と時間を決めるのだ。
 ナツキは、最も低い設定のプログラムを参考にした。
 何度も鉛筆で書きこんでは消す。
 ほんの10℃の違いが、大きな差を生むことがあるからだ。
 初挑戦。他のデータを参考にしているとはいえ、大きな賭けである。

「トーマ。次はこのプログラムで焼いてみよう。俺のとは一緒に焼けないから、一個だけになるけど。クリスタルがどれくらい流れるか分からないから、上の方につけた方がいいかも」
「分かった。ありがとう、ナツキ」
「いや、まだ成功したわけじゃねぇし」
「ううん。温度の変更なんて、僕ひとりじゃとても出来ないから。良かったあ」

 素直に、真っすぐに、トーマは喜んでくれる。それが嬉しいから、手を貸したくなるのだ。ナツキは照れたように笑みを返すと、窯場のほうに目をやった。

 その時、ふと疑問が浮かぶ。
 温度の変更。焼成温度……。
 同じ名前の釉薬でも焼成温度が変わることがあるのだ。メーカーによって温度は変わる。
 ナツキは慌てて購入サイトを見返し、そして頭を抱えることとなった。トーマと同じだったからだ。

 サイトにある氷裂貫入釉の焼成温度は1250℃。先生のとは20℃の差がある。温度帯の幅は表記されていなかった。幅の広いものだと、ある程度の差はカバー出来るのだが。もしかすると、ここにも原因があるのかもしれない。

「やべえ。いつもと違うって認識が、まるっきり抜けてる」

 素焼き800。本焼き1230。それが当たり前で、そこで視点が固定していたのだ。オリジナルを作ろうというのに、元の考えに囚われていたとは。

「取り敢えず、ノーラのお手柄だな」

 そう呟いたナツキが、とっておきの猫缶を取り出したのは、言うまでもない。