ふたつのうつわ 第16話 ミルクプリンと流れ星
二度目のテスト。
本焼きの結果が出たのだが、ナツキのぐい呑みは釉薬の全てが底に流れて固まっていた。まさに真っ白なミルクプリンである。
カチカチで、とても食べられたものではないが。
「やっぱ、厚いのか。こんなに素地が吸わないなんて」
釉薬が少ないので、どうしても内側だけに入れて流すことになっていた。
ほんの少し、もたもたするだけで、釉掛けの時間がオーバーするのだ。その数秒で勝敗が決まってしまうと見えた。
いくらぐい呑みでも、これを続けていると、本番用の釉薬が足りなくなってしまう。
キン! と、窯出し後の貫入音がした。
窯から出すと作品が一気に冷えるので、貫入が進んで器の表面にヒビが入っていく。
抹茶碗などは、その貫入をわざわざ育てることもある。茶渋が染みて、貫入が濃くなっていくのを楽しむためだ。
たくさんの作品を窯出しすると、あちらこちらから、キン! という音が聞こえてくる。数時間経っても、ふいに鳴る時もあるのだ。
とてもいい音色である。陶芸をするものしか、聞くことの出来ない音だった。
窯出しは50℃でするが、冬なので室温は低い。一気に冷やされたために、どこかに貫入が入ったらしい。目を凝らしたところで、見つけることは出来なかったが。
さて、次はトーマのテストピースの本焼きである。
分かりにくい取説を何度も読んで入力した、ナツキのオリジナルだ。
L字のテストピースの上半分に釉薬が筆で塗られ、クリスタルの粒が五つほどつけられている。
任意設定温度1013℃。何度も確認をしてから、電源をオンにした。
たったひとつのテストピースのために本焼きをするのだ。贅沢な話だった。しかしこれを繰り返していると、冬休みが終わってしまう。
本焼きの間は、宿題をしたり、本番用の茶碗を作陶していた。
トーマは今日も、紐を積んで茶碗を練習している。
ナツキは釉薬の残りの量に合わせて、作品の形を決める必要性を感じた。
トーマのように筆で塗れる釉薬ではない。超厚掛けなのだ。吹き掛けも流し掛けも、自分には出来ないだろう。出来るとしたら、ずぶ掛けだけ。
一キロしか釉薬を買わなかったことが、ここに来て痛いことになっていた。
しかしナツキは、工房の中を歩き回る。細長い容器に釉薬を入れ替えて、作品も幅の狭いものにすればいいのだ。
作るとしたら、ゴブレットだ。陶器のワイングラス。
器の部分だけに釉を掛ければいい。足の部分は無釉にする。これなら、ずぶ掛けが可能になる。
もう時間がない。次の窯入れは本番だ。いちかばちか。やるしかない。
腹をくくったナツキの耳に、再び、キン! と貫入音が聞こえてきた。
◇
ゴブレットを削るナツキの手元を、トーマがまじまじと見つめている。
この手の作品は、器の部分と足の部分を別に作るのだ。
細長い器は高台を作らない。底を卵のように削る。足の部分は、その器を乗せるエッグスタンドの形にするのだ。
双方を削り終わってから、土に傷をつけて水を落とし、接着する。
足元のどっしりとした陶器のワイングラス。ガラスのような繊細さはないが、温かみがある。
ナツキは予備を含めて三つ作った。乾燥や素焼きの段階で割れる可能性があるからだ。
「すごいなあ。こんなのも出来ちゃうんだ。なんか、ガラスのイメージばっかだった」
「まあなあ。ガラスは透けるから、色を楽しむならそっちを選ぶだろうな。でもさ、陶芸やってると、なんでもかんでも土で出来ないかなって思い始めるんだよね」
「あ、なんか分かる。陶箱とか作ってみたいし」
歪んだ陶箱を大量に作って来たナツキだった。
真四角な物が出来たのは、いったい何作目だったことか。しかし、その好奇心が続けるエネルギーとなったのだ。
展示室の乾燥棚に作品を移したナツキは、頭を冷やそうと外に出た。
見上げると、満天の星。今にもこぼれ落ちそうな、クリスタルの輝き。
息が白く変わる。手がかじかんだ。
工房に戻ろうと踵を返すと、水を入れたままのバケツに目を留める。泥のついた道具を洗うためのものだ。明け方には凍るかもしれない。
ゆっくりと、ゆっくりと、結晶を集めて。
『窯の温度が50℃を切ってから蓋を開けること。出来れば、室温まで待つくらいがいいよ』
『これがレイヤーの発生場所。三十年くらい前に、まずオーストラリアで見つかって、どんどん北上していったんだ』
先生と博士の言葉が思い出された。
ゆっくりと三十年かけて螺旋を描き、地球を北上してやがて消えていく現象。
あまりにゆっくりと、いつの間にか馴染んできたので、注目もされずに終息に向かうのだ。
目に見えるものと別の層があるなどと、疑うことがあるだろうか。
自分だって、いつもやっていることが正しいと固定観念に縛られていた。それでは、新しいことなど出来ない。
レイヤーが取れたばかりだというのに、レイヤーの器を作るのに苦心している。
それに気づいたナツキは、自然に苦笑いを浮かべていた。
◇
L字のテストピースが窯から出された。
紫の地に、緑と金の滲み。まるで流れ星のように流れているが、星雲の色は出ていた。ほぼ完成である。ナツキの入力したプログラムは成功したのだ。
「これで本番に行けると思う。クリスタルが下に流れないように、外側は鎬(しのぎ)を入れるといいよ。溝で留まるから。内側は量を調整すればいいし」
「分かった。削りに入る器があるから、鎬にする。ナツキのテストは?」
自分が先に成功したことに、トーマは申し訳なく思ったらしい。手渡されたテストピースではなく、ナツキの顔を見ている。
「ぶっつけ本番だ。ずぶ掛けでやってみる。ちょっとした賭けだけど」
「賭け?」
「まだマスターしていない。だから、一番可能性のある方法でやるだけだ」
ナツキの言葉に、トーマが目を輝かせる。
やっぱ、仲間がいるのっていいな。ナツキはその顔を見て、しみじみと思ったものだった。