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承認欲求廃棄論 Tiktokを見ていて思うこと。

趣味レベルだが

最近Tiktokを本気で伸ばしにかかっている。

理由については、以前ツイートしたので省略。


Tiktokをしていると(インスタでもいいんだけど)

世の中には顔のいい人間がたくさんいることがわかる。

あふれているという表現が恐らく適切なのであろう。

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フォロワーを伸ばしたい!という人ほど顔で勝負しようとするし、自分のお顔にかなり自信があふれているように思う。


人間は承認欲求がある(前回のマズローの五段階説の話)

この記事でも記載されているが、幼少期にコンプレックスを持った人ほど、自撮りをあげてしまう傾向にあるらしい。


きっとそういうたぐいの方たちは承認欲求を満たすための居場所が”SNS”なのであろう。(ぼくもそうだったw)

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インドのカレー屋に例える。

インドにはカレー屋がたくさんある。しかも美味しいカレー屋はたくさんあるだろう。

料理人が「いや、おれの方が美味しいカレーを作れる!」といってレッドオーシャン化しているんだ、とおもう。

無論、ぼくたちが1軒たまたまどこのカレー屋にいっても、どこも美味しいに間違いない。

そこにサラダが売りのカレーがぽつんと出店したらどうだろうか?

カレーで勝負する人が多すぎて、差がわからない!

しかしさっぱりしたサラダ屋はニーズがあるはず。おそらく人気になるはずだ。


これは今の現代SNS社会も同じ構造だと思う。

顔の良い人はもう山ほどいるから、他の要素で目立つしかない。

顔がいいのは大前提なのだ。

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埋もれた中で勝ち切る、生き残る能力はどの時代にも必要である。

自分がもし戦争時代に生きていたら・・・

周りはたくさん死んでいく中

どうやったら周りと同じようにならないか。生き残れるか。

極端にいえば、差別化できる能力は、どの時代も必要である。


今の時代は承認欲求の時代と言われている。

顔がすべてではない。

自分の承認欲求をどう捨てきるか。それが今を生き抜くのに一番必要なのかもしれない。











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