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ゲームは「想像」ではなく「体験」

ふと考えたレベルですが、結構大事なことの気がするので深堀してみます。書籍や映画といった自分自身が物語の解釈や受け取る感情を想像で変化させるコンテンツに対し、ゲームは自らの判断が世界側を変える体験 という違いあると思いました。

ゲームは体験

ゲームはプレイヤーの一人となって、物事に触れて、情報をもとに判断していく体験が設計されています。それがレールに敷かれたものだとしても、自分の行動を変える余地があり、それが結果を左右する意味で体験です。

何が大事かというと、特に歴史や物語を「見て聴いて想像する」という映画や書籍の特徴と違い「自分が歴史や物語を体験する」ことです。つまり、その気になればたとえ仮想空間といえど過去の歴史上の世界や出来事を体験することができます。

映画や読書も体験要素があるが想像に近い

もちろん映画や読書でも歴史や物語を知ることができるし、想像が可能です。ただし、自分の判断により世界側が反応する双方向性がありません。もちろん映画も読書も自分自身の解釈の違いにより受け取り方が分岐するのが面白いところですが、そこに記された世界側が変わることはありません。これは、自己の思考を変える「想像」に近いですね。

ゲームならではの味わい方

私は昔ながらのドット絵とかも好きですが、リアルになっていくゲームのどこに価値を見出すかといわれると、やはりこの体験への没入感ですね。現在プレイしている、レッドデッドリデンプション2はアメリカのガンマン・ギャングのシミュレーターともいえるほどのリアルゲームですが、ここまで忠実に再現された世界を「自分の判断で体験する、生きる」というのはゲームならではですね。西部劇の時代を自分自身が生きているような体験、これはこのゲームが作り出されない限り早々味わえなかったものと思います。


この空間の中で、現実世界にすら生きそうな経験と判断を得て帰ってこれれば、もうそれは最高の体験だと思います。ので更にどっぷりつかってみます。笑

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