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ワーホリとコロナと。Beforeコロナ編①

ワーホリ生活について全く書いてなかったのだけど、もうそろそろまる4ヶ月経つので、そろそろ何があったのか記したいと思う。
いつもは自分の手帳に手書きで感じたこととかを書くから、なかなかオンラインで記するのが億劫なんだよね。
でも最近、高校のときのアメブロを発掘して、このときこんな事考えてたんだーってなって、いまこのオーストラリアにいる瞬間もこうやって残したいなって思って。手帳だと実家に帰らないと振り返れないからね。


とりあえず遡ると、2019年の春に訪日関係のベンチャー会社を辞めて、3ヶ月ほど中南米とNYとタイを旅した。で、再就職の前にどうしても北欧のカルチャーが学びたくて、デンマークのパブリックスクールに通う予定にしたんだけど、そのために貯金と英語力アップが必要だ、ってなったからAUSでワーホリしようと。
つまり私の中でAUSは英語力と貯金が目的で、ここで旅しようとかそういう感じではなかったんだよね。


ネットでなんとか仕事探して、2020年の2月1日にオーストラリアのWA州、Perenjoriっていう冗談抜きでめっちゃ田舎に降り立ち、(画像参照)

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スーパーもなんにもない(最寄りスーパーまでは車で片道40分弱)、小麦と羊の農家に囲まれた町。というかもはや村。人口200人いるらしいけどたぶん嘘。だっていつも会う人みんな一緒で、たぶん100人もいない。

この村にある、パブ併設のホテルで住み込みで9月まで6ヶ月働くことに。
ここで「9月までいるんだよね」って言ったらみんななぜか驚いてた、バックパッカーは基本2〜3ヶ月しか滞在しないみたい。

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ホテルの1室を一人で使わせてもらって、3食付き、1日6時間、週休1日、それで週484AUSドル。
普通に最低賃金割れてるけど、出費ゼロだし、仕事もまっっったく難しくないからまあ、英語の勉強しながらお金貯めれればいいやって感じで働いてた。ごはんも美味しいし。(ごはんは完全にTGIフライデーズのようなやつ。毎日。)

最初の1ヶ月(2月)はどうやら中国でコロナウイルスが流行ってるらしい、そして日本や韓国に広がってる、っていうニュースがやってて、オーストラリア人なんて完全にノットマイビジネス感はんぱなかった。
特にここは超田舎だから、まあシドニーやメルボルンに来たとしてもここは関係ないっしょ、って感じ。私もそう思ってた。

3月に入って、オーストラリアでも徐々に感染者数が増えてきたものの(この時点ではたしか500人以下とかだったはず)、ヨーロッパみたいなロックダウンはありえないと誰もが思ってたのに、3/18にオーストラリア政府がロックダウンすることを決定。全土のパブ、レストラン、シネマ、ジム完全閉鎖。州の渡航制限も。

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そんなこんなでこんなクソ田舎の、私達のパブも閉鎖することに。
ロックダウンしてから最初の1週間はテイクアウトオンリーで通常の営業時間で続けてたから、私の労働時間もほぼ変わらなかったのだけど、3/23についにホテルのオーナーがパブを完全シャットダウン。

オーナーは、「部屋と3食は引き続き提供できるけど、残念ながら仕事はもうない」と。まじか、オーストラリアで無職になるなんて想定外すぎて笑ったわ。3/22の夜にみんなでLost jobパーティーをしたのは忘れられない。

次の日、とりあえずなんでもいいから仕事探さないとってなって、みんなでWANTEDのポスター作成。

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「Available: 7days a week All Hours」から伝わる危機感w

オーナーはとてもいい人で私達をホテルから追い出すとかはまったくなかったんだけど、一緒に働いている子たちと話して、無料でここに住むのも悪いから、仕事と住まいを探して、ここから自主的に出ようという話に。
ここだけの話、私はクラウドワークスとかのオンラインで仕事探して、そのままホテルに居続けようと思ったが、他の子たちの良心を見て、それは言える状況じゃなかったw

そして1週間ほど仕事探してたら、こんな田舎なのに、人々の優しさのおかげで、それぞれ奇跡的に行く先を確保。
ホテルを出たはいいものの、行った先が亭主関白主義おじいだったとは。
おじいの家にホームステイ編は次回・・・・



なんか冒頭もっと感情的なこと書く予定だったのに、いろんな出来事ありすぎて、何が起こったのかのレポみたいになってしまった。笑
しかもだいぶ書くことあって、3部作くらいになりそう。まぁこれも、何年後かに読み直したらおもしろいでしょ!


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