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Bhanu Swami 先生

Bhanu Swami 先生が

なんと!4月に日本にいらっしゃいます!

あなたは、知っていましたか?

バヌスワミマハラージは、日本でクリシュナコンシャスネスに出会いました!

そして、日本でプラブパーダにお会いして
一緒にインドに行って、また日本に帰ってきています。

今では世界中で有名なバヌスワミ・マハラージ!

4月29日土曜日のバクティ・ヨガ・フェスティバルで
なんと!クラスをしていただく予定です!!!

すごい!!!

そこで、
バヌスワミマハラージが
どうやってクリシュナコンシャスネスに辿りついたか?

そして
プラブパーダが日本に来た時のことを
語っていらっしゃる動画を文字おこししました。

マハラージって誰なんだろう?

という人は読んだり見たりしてみてくださいね!

ハリハリボー

ーーー

最初にシュリラプラブパーダが日本に来られたのは、
インドに行く途中で寄られました。
それが最初です。

その時に、
大日本印刷で
「クリシュナブック(クリシュナ)」を
印刷する交渉に来られた時です。

クリシュナの降誕祭の直前でした。

その辺はリーラアムリタの中でもかかれていると思います。
その時に
何人かのサンニャーシーと来られたと思います。

そして
プラブパーダは大日本印刷の人が用意したアパートに滞在しました。
その時に、
お寺は渋谷で全部で8畳くらいの部屋でした。
そこに何人かの人が暮らしていました。

ディボーティー達に、
プラブパーダを迎えに行くときに
私は連れて行ってもらいました。

有名なヴィヤーサプージャのお祝いが起こった時で、
私もその時にそこに居ました。

それから少ししてから
プラブパーダは、
他のディボーティー達と一緒に
「インドに行かないか」と誘ってくれました。

2年後
私はインドから日本に帰ってきました。
そしてその後
また、プラブパーダは日本に来られました。
その時のお寺は高尾に移っていました。

製紙工場だったようなところで
プラブパーダのお部屋を用意して滞在していただきました。

その時にプラブパーダは神戸にも行かれたと思います。
次に来られた時は三鷹だったと思います。
その時は数日だったと思います。
もう一度その後に品川あたりにいらっしゃいました。
トランジットで1日2日寄られたのでした。

私が覚えているのはこのくらいです。

ーー

私が1970年だったと思いますが、
大学を卒業し卒業旅行で日本に来ました。

その時が、プラブパーダが日本に来た時の半年前の時でした。

最初はスダマプラブと
数人のディボーティー達が
京都などで本配りをしていて、
東京に来て銀座などで本配りをしていました。

私はその時に銀座で初めてディボーティーに会いました。

私は丁度、日本の友達と会って、
銀座でディボーティーに会って、
渋谷のお寺に行ってみましたが、

2間しかない畳の古い家・・・

すごい驚くような古い家で・・・

その当時来たばかりでお金が無くて、

バックトゥゴットヘッドのマガジンを配って
小銭を集めていて、
お金が無かったので
そういう古い小さな一軒家を借りて住んでいたのです。

当時定期的にアサヒマガジン(?)など
定期的に掲載されていたり、
プレスなどに取り上げられていました。

ユニークな運動だったので、
日本もヒッピーなどの時代背景もあり、
面白がられて取り上げられてもいました。

〉何人ディボーティーが居たのですか?

スダマさんとその奥さんと・・・4名くらい

その当時は経済的に安定していなかったので不安定で、
うまくいっていない状況でした。

〉クリシュナ意識のどんなところに惹かれたのですか?

私はもともと、
スピリチュアルなことに興味があったのでそこに惹かれました。
そしてKIRTANやプラサーダム、
サブジなど食べたことが無いようなものを
小さなサンデープログラムで食べられて、
そこに通っていました。

〉何名くらいサンデーフィーストに来ていましたか?

凄く小さかったので10名くらいだったと思います。

〉プラブパーダに初めてあった時の印象は?

すごくシリアスで厳粛。

クリシュナの本を翻訳することに身を捧げていました。

すごく惹き付ける吸引力を感じました。

ヴァイシュナヴァとしての純粋な質だと思います。

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