【シン・ウルトラマン】感想いろいろと考察もどき

 せっかく観たし,いろいろ語りてェとオタク魂がうずいてたので書いてみました。
 もしボクと感想をシェアしてくれる優しい方がいれば…………。

はじめに

  • 庵野作品横断でネタバレありきです。

  • オタクの垂れ流し文章。文体等は全く整っておらず,読みやすさ等は考慮されていません。それを公開するのもどうなのか。

  • 1回しか観てないしパンフも何も買ってないので(ケチ),セリフとか設定とかいろいろ間違ってる箇所があると思います(教えてネ)。






ええやん! ってなったトコロ

ウルトラQで開始即絶頂

 冒頭数分の【ウルトラQ】のリブート。
 ゴメス,マンモスフラワー等々,【ウルトラQ】の怪獣たちが「禍威獣」として続々登場するのには感動した。そこだけでも何本か映画作れそう。
 矢継ぎ早の説明とはいえ「誰が」「どうやって」倒したかが説明されていること,そして本編につながる「禍特対」の創設秘話にもなっててよかった~。

シン・メフィラス星人と山本耕史の親和性

 実は山本耕史ってそんなに好きじゃないんですが……。
 香取慎吾や堀北真希など共演者に連絡先交換を断られてもしつこく迫り,ムリヤリ交友関係を築いた(あまつさえ堀北真希とは結婚しちゃった)という有名なエピソードがあるけど,ボクはこの話で無理になっちゃった。怖すぎる。
 でも今回はそれを差し引いても,素晴らしいハマり役だったと思う。
 (差し引くというより,むしろその要素が加算されて?)
 あのウサン臭さ,なかなか出そうと思って出せるもんでもないだろうし,彼にしかできない役だったのかなと。
 公園でのウルトラマンとの対話シーンも好きだけど(子どもが遊ぶ中,大人ふたりで並んでブランコ独占),一番は居酒屋でしょう。
 カウンターで横並びのサシ飲み。とても宇宙人(外星人)同士の語らいの場とは思えなかったけど,そこがまた2人の外星人としての格の高さが伝わってきた(なんとなく)。
 話を聞いてた感触は,「外星人の立場で考えればメフィラス星人に義がある」ように思えた。ベータ―ボックスを手にした人類の行く末を「上位存在」である外星人の立場で考えたメフィラス星人と(結局は自分のためではあるけど),外星人でありながら「人類」の立場で考えたウルトラマン。静かな物別れってええやん。大人な感じで。
 公園のブランコでも居酒屋でも、〈2人は横並びで視線が交わることはほぼない〉=〈話は平行線〉っていう演出もよかった(メフィラスはウルトラマンを誘ってるので,チラチラ視線を遣っているが)。
 好きな言葉・嫌いな言葉がいっぱいあるのは,原作初登場回の「禁じられた『言葉』」に掛けてるのか? とも思ったり。(原作回観てないから適当言ってるけど)

ゾーフィ、銀・青では?

 数年前にTwitterで話題になった色の錯覚の問題。最初に登場する対メフィラス星人戦のとき,直感で「あ! ゾフィーやん!」って思ったけど,銀・青のカラーリングにしか見えなかった。「ウルトラマン(銀・赤)と一緒だったらパッと見わかんないもんね」って勝手に納得してずっと観てたけど,映画館出てTwitter見て驚愕しちゃった。「金・黒……!?
 ……全然内容には関係ないですけれど。
 あと役割的に〈物語シリーズ〉の「くらやみ」を思い出しました。
 (ただただ宇宙のルールに則ってイレギュラーを排除する感じとか)
 観る前に「ゼットンは出るだろうけど,ゾフィーってやっぱり命2個持ってきてくれるのかな」とか考えてたけど,まさかの合わせ技で「ゾーフィがゼットン持ってくる」とは思わなかった(元ネタも知らなかった)。あっぱれです。\アッパレ!/

光技のアニメーションのクオリティー

 スペシウム光線然り,八つ裂き光輪然り,あの光技のアニメーションに原作リスペクトを感じました。一人でゾクゾクしてた。特に八つ裂き光輪。
 ゼットンのバリアで八つ裂き光輪が砕けちゃうのスゴく良い。
 スペシウム光線で山吹っ飛ばすのは,今だから出来るな~~~と。
 それだけなんだけれど。




あかんやん! ってなったトコロ
 

 あかんっていうか,あれ? と思ったトコロ。
 ほぼ【シン・ゴジラ】のノリを期待してたせいだけれど。
 あの「スゴいものを観てしまった……!」っていう感動がなかったのはどうしてなのか考えました。

禍特対、何をした?

 冒頭の【ウルトラQ】部分がすっ飛ばされたせいなのかもしれないけど,禍特対の活躍がイマイチだったように思えてならない。
 対禍威獣戦に関してはウルトラマンがいるから仕方ないは仕方ないんだけど,対ゼットン戦で物理学者の滝くんが一人で悩んで(外星人の科学力に絶望)一人でゼットン対抗策出した(ベータ―ボックスの原理を教えてもらったとはいえ天才か?)くらいしか活躍を覚えてない。てっきり,対ゼットン戦で禍特対中心に人類全体で知恵出し合って倒していく感じなのかと思いきや。
 長澤まさみの弘子さんとウルトラマンは「バディー」らしいけど,お互い全然職場来ないし,どう関係を築いたのか謎だった……(禍特対みんなに言えるけど)。ウルトラマンはそういう概念がない(勉強中)から仕方ないけど,弘子さんはどうやって好意もつまでに至ったんだ。そこは対ザラブ星人のくだりで達成したってコトなのかな。それともやっぱりチョケメン(=チョーイケメンの略)の斎藤工だからかな。
 早見あかりの船縁さんは何をしたんだろう。お菓子ドカ食い? どうせならラーメンドカ食いしてほしかった(伝われ)。
 西島秀俊はカッコよかった。イケおじ最高うううううううううううう。リーダーだしね。ええやん。あんな上司ほちい。
 【シン・ゴジラ】の矢口班みたいなノリを期待していたのが間違いだったのかもしれませんね。

特撮か、CGか

 いや,それを言っちゃあ……といった感じではあるんだけど。
 【シン・ゴジラ】の〈特撮をCGでやる〉が徹底されてるのかなと思ってたら,案外CGCGしてた。もともと原作版で人が無理な動きとかはレプリカで代用してたわけだし,全然わかるんだけども。
 ただ,対ザラブ星人戦はスゴく良かった。現代の東京(しかも夜)で戦うウルトラマン,パねえ! って感じ。ビルの間を縫うように飛んでるとことか気持ちよかった。みんなの「これが観たかった」が詰まってたと思う。そうでもない?
 あと,ガボラの光線受け止めてた場面のモーションアクター,アレは庵野では?(笑)

リアリティーか、空想か

 みなさんご存知のとおり【シン・ゴジラ】のキャッチコピーは「現実対虚構」の二項対立だったのに対して,【シン・ウルトラマン】は「空想と浪漫。そして、友情。」という欲張り3点セット。
 観終わってみれば,本編の内容をここまで正確に表したキャッチコピーもないのでは!? と思う。
 【シン・ゴジラ】では徹底して〈ゴジラの暴れっぷり〉と〈日本(人間)側の対応〉をみっちりみちみちに描いていたけど,【シン・ウルトラマン】では〈禍威獣の暴れっぷり・外星人の狡猾さ〉と〈禍特対と政府・自衛隊の活躍〉、そして〈ウルトラマンと禍特対との友情〉といった要素モリモリでお話が展開されていきました。
 そうなれば必然的に各要素にかけられる尺と密度は限られてくるわけで,特撮・怪獣オタク,ミリタリーオタク,その他ライト層等々のこの映画を観た人たちがそれぞれの要素を「もうちょっと観たかったなァ」と思っちゃうのも仕方ないのかなァと思いつつ,「いや、それなら禍特対との友情要素要らなかったのでは!?」と思ってしまった自分もいます。入れるにしても禍特対相手じゃなくて,〈人類全体に対する愛着〉くらいが良いトコだったような(既述のとおり,全然職場来てないのにそんな友情育んでたっけ? という疑問が勝っちゃう。)。
 冒頭に【シン・ゴジラ】のタイトルを出した以上,【シン・ゴジラ】のリアリティーテイストはもっと濃いめに引き継ぐべきだったと思うし(禍特対が作戦立案・指揮のブレインなら自衛隊はもっと活躍できたんじゃ……)(海外政府は話に上がるくらいで特に絡んでこない),空想・浪漫全開の宇宙での対ゼットン戦はもうちょい見せてくれてもよかったんじゃないかなと思います。
 

誰が作ったのか

 多分【シン・ウルトラマン】で一番ウケたのがエンドロールの最後(次点で政府の男)。
 もう忘れちゃったけど,最後に並ぶ「監督補」「准監督」「副監督」「監督」、そして「総監修」のクレジット……。(正式な名称とか順番とかは忘れちゃった。)
 いや,結局誰の映画?(笑)
 言い出しっぺは庵野だし,庵野を前面に出した映画にしたい! っていうことなのかな。でも,終始「庵野っぽい」以上にはならなかったんだよなァ。
 カメラアングルとか動きとか,庵野監督の画面作りに“絶頂(エクスタシー)”を感じるオタクとしては,「うわ! やられた!」っていう場面があんまりなかったのが残念。残念というか不思議というか。
 さっき良かったって書いた対ザラブ戦のビル群での戦闘も(どっちなんだ),あまりに俯瞰のカットしかなさすぎるというか。ビルに倒れこむ場面とか,絶対真下からのアングル入れそうなもんじゃないですか(地上で逃げ惑う人々と瓦礫が降り落ちる奥にウルトラマンが見える,みたいな)。ただただ引きの画が流れて終わって,「あれ? めっちゃ単調……。」って思っちゃった。
 と思えば,あんまり内容のない会話の場面ではバンバンカット切りまくりの人物ナメまくりだったり,「旧エヴァで観た」って感じで全然説得力なかった。
 結局忙しすぎて現場にそんなに入れなかったのかなと愚考するしかないけど,庵野感が薄くて「庵野っぽい作品」の域を出ないと言わざるを得ない。それくらいなら,「スタジオカラー制作」くらいの売り出し方に留めた方が期待しすぎなくて良いかなーって。




庵野のシン化論

 ここからは完全に考察というか。
 本編はもちろん,庵野作品全体を振り返って思ったことを。
 

 人は神の像である。
 (=神は人の進化の極地にある。)
 神は地球外に存在し,超高度な知性・能力をもつ。

 ここらへんの概念は【ふしぎの海のナディア】の時からずっと共通してるんだなァと再確認。
 ナディア,ユイさん・マリさんはウルトラマンだったんだなァ……。
 早速ちょっと脱線話。
 このパターンでいけばウルトラマン(神永)と弘子さんは結ばれるんだろうなと思ってたけど,そこまでには至ってなくて,アンパンマン的な博愛路線……ってコト!? と思って観てました(弘子さんはしゅきしゅきになってたけど)。
 あと【ナディア】のときから出てきてた「神」の力に対抗できる謎の文様。【エヴァ新劇場版】では「使徒封印用呪詛文様」と呼ばれてたアレ。【シン・ゴジラ】でも一瞬出てくるし,アレが今回も出てきたら激アツだと期待してたんだけど結局見つけられませんでした……。もし映ってたら誰か教えてください。

【ふしぎの海のナディア】より
【エヴァ新劇場版】より
「使徒封印用呪詛文様」
アスカの眼帯,シンジのDSSチョーカー,使徒封印柱等に刻まれていました。
【シン・ゴジラ】より
見づらいですが,上2つと同様の文様が所々。

 閑話休題。
 物語終盤,ウルトラマン(=リピア)は地球を見守る「裁定者」の役割をもっていたことが明らかに。
 メフィラス星人も日本政府に対し,「人間の『上位存在』として認めてくれればそれでいい」と要求。
 彼らは圧倒的な知性・科学力をもち,ウルトラマンが人間が手にするには早すぎると危険視した人外未知の未解明システム(=ベーターカプセル)をもたらしました。
 これは超高度な文明をもち人類を創造した【ふしぎの海のナディア】のアトランティス人やネオ・アトランティス人然り,生命の実・知恵の実によって使徒と人類を産んだ【エヴァンゲリオン】シリーズのアダム(アダムス)・リリス・(新劇場版では綾波ユイ・真希波マリも)然り,新元素を生み出し放射能を克服した地球上で最も進化した生命体である【シン・ゴジラ】のゴジラ然り,宇宙から地球にやってきた」と呼ばれる存在です。
 つまり,本作中で「外星人」と呼ばれた存在はすなわち「」ということになります。
 こうして考えてみれば【シン・ウルトラマン】のストーリーは,神々の人類争奪戦とも言い換えられるものでした。
 ザラブ星人は仕事のために人類もろとも地球の裁定者であるウルトラマンを消そうとし。
 メフィラス星人は自らの資源力のためにウルトラマンさえも利用して人類の総兵器化を計画し。
 ゾーフィは宇宙全体の秩序のために危険兵器になり得る人類をゼットンによって消そうとし。
 単純に考えれば,人類は神々の力には到底及ばないので屈するほかないのですが,人類の可能性を信じ滅亡を惜しんだのがウルトラマンでした。
 彼はベーターカプセルの理論を数式化し(ブツは渡すのダメでも理論ならええんかいとも思ったけど),ゼットンの撃退を人類に委ねました。これは,〈人類は神をも越えられる〉ことに賭けた無謀な大バクチだったと思いますが,人類は持てる叡智・科学力を集結させ(再三言うけど,ここで禍特対がもっと活躍してほしかった),ベーターカプセルの高速二度押しというゲームの裏技みたいな攻略法でゼットンを重力の歪みで生じた並行宇宙へ飛ばすことに成功。
 ゾーフィはこれを受けて「ふーん,おもしれえ女」状態に。
 人類は滅亡を免れ,同時に「神」の立場も危うくすることができる大きな可能性を秘めた生命体として,〈神の力に屈するほかなかった存在〉から〈神の力にも対抗することができる(=神にもなれる)存在〉へと昇華され物語は幕を閉じます。
 ゾーフィとウルトラマンの会話の中に「人間は我々(=光の星の方々)の進化とほぼ同じ過程を辿っている」という内容のものがあったと思いますが,ゼットンを倒したことで人間は「神」にだってなれるという可能性が暗に示されたものだと感じました。【シン・ゴジラ】でのセリフを引用すれば,ゾーフィ・ゼットンの来襲劇は「人類に無限の可能性を示唆する“福音”」でもあったわけです。
 このことは【シン・ゴジラ】では本編全体を通して,【シン・エヴァ】ではネルフ(ゼーレ)の完遂を目指す人類補完計画に抗うヴィレが「(人類補完計画を『絶望のリセット』とした上で)人類の知恵と意思を信じた希望のコンティニュー」と端的に表されています。
 圧倒的な力を持つ「神」って空想かもしれないけどカッコよくて浪漫あるし,その「神」にもなれる,もとい「神」も越えられる人間の尊さみたいなのが【シン・シリーズ】には色濃く描かれてるなァと感じました。



 あんまり「神」とか書いてるとやっぱり「鬼」が連想されて卒論の思い出が蘇ってくるので,ここらへんで筆を置きたいと思います。
 なんか思い出したり,もし2回目観ることがあれば加筆していこうかなとも思っておりますが。

 長々駄文を失礼しました。

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