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灰色の世界(小学1年生編)

小学1年生のころの話しです…

とにかく家にいたくないので、毎日誰かと遊ぶようにしていました。
誰でもよかったので、見つかるまで声をかけまくりです。

遊びの誘いを断られると「なんで?」と詰め寄り、
「他の人と遊ぶから」と言われると「まぜて」と食い下がり、
それでも断られると怒りをぶちまける…そんな嫌なタイプの子供でした。

みんなでかくれんぼをしたり(気が付くと誰もいない)、林に冒険に出かけたり(気が付くと誰もいない)、待ち合わせの公園に行くと誰もいない……

誰もいないが日常的な私

いじめだったように思いますが、嫌われていただけの可能性もあるし、とにかく誰でもいいので遊びたかった。みんなを探して見つけたら、また遊びにまぜてもらいます。
それが日常。

学校では担任の先生にとくに嫌われていました。理由はわかりませんが、とにかく嫌われていることだけはわかりました。

1年生だったあるとき、授業であめを食べる機会がありました。
先生が全員にイチゴあめを配ったのですが、私の分だけありません。
みんながおいしそうに食べているとき、ニヤニヤしている先生の顔を見て、怒りと恥ずかしさでいっぱいでした。
みんなもなぜ私だけ食べれないのか不思議そうにこちらを見ています。
このときのことを思い出すと、心の中が真っ黒になります。

もしかしたら、何か怒られるようなことをしたのかもしれません。
でもこれが、私を反省させるための行為だとしたら、完全に失敗だと伝えたい。
反省どころか、ひどいことをされたという記憶しか残っていないのですから。

幼少期に続き、とにかく全ては敵か味方かの世界でした。

この偏りすぎた感情は、一緒に遊ぶ友達をさらに減らすことになります。

あるとき、公園で3人で遊ぶことになりました。ブランコと小さな砂場があるだけの、近所の公園でした。
そこで2つしかないブランコを、交代で乗って遊んでいたのですが、そのうち私と1人の女の子で、どちらがより高くまで漕げるかを競争することになったのです。
どんどん高さが増していき、ブランコが水平になるまで漕いだころ、横にいた女の子がそのままブランコから飛んで行ってしまいました。
順番を待っていたもう1人の女の子が悲鳴を上げ、落ちた女の子は号泣しています。

それを見た私は、泣いてるからもう遊べないな、終わったな、じゃあ帰ろう、とそのまま帰ってしまいます。


危ない、助けなきゃ、という感情が無いのです。心配する気持ちも、思いやりもありません。

他の人がどう思うか、どうでも良かったのです。

今考えると、とんでもないな!と思いますが、誰かに大切に扱われたことがないので、人を大切にする気がありません。

「みんなも私の気持ちどうでもいいじゃん」
「私もみんなの気持ちどうでもいいよ」

そして、良くも悪くも人の気持ちを考えないことで、私の心は守られていました。


これを機に、当然、遊びの誘いはもっと断られるようになりました…(。-_-。)
それでも私はいつも思っていました、今日は誰と遊ぼうか♫


この話の何が無双かというと、
1人も友達がいなくても、
仲間外れにされても、
体育で1人だけ相手がいなくても、
給食の自由の日にグループが作れないのが私だけでも、
先生に無視されても、
普通に毎日学校に行ったこと、
自分は何も悪くないと思っていたこと、
その状態を普通だと思っていたこと


笑って過ごした記憶はありません。
楽しい思い出もありません。 
それでも毎日を生きていました。


その後、小学2年生の途中ごろから母親と離れ、父親と暮らすことになります。

次はそのころの、とんでもない出来事の話になります。




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