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知っているんでしょ?

 我々はどうすればいいかを、どこかでわかっているのだ。我々は、互いにどのように向き合うか、どのように自身の内面に従い、内なる力を得ていくか、どのように1人で歩き、また共に寄り添い合うか、実は深いところで知っている。
   『未来が見えなくなったとき、僕たちは何を語ればいいのだろう』(P111)

 僕が読んでいる本の一節だが、この文を読んだ時にすごく腑に落ちる感覚があった。後から振り返ってみると、人生の節目節目に起こった出来事は、そのタイミングでよかったと感じる。

 早くても遅くても、結果は随分変わっていただろう。その時に起こったからいまの自分がある。

 だいたい頭で考えて、タイミングを見計らうと失敗する。変な力みが出てしまう。なにも考えずにパッとやったことが思わぬ好結果を生む。

 僕が孤独感を覚えていた時、孤独を忌み嫌いながらもその場を抜け出さなかったのは、孤独が必要だったからだと思っている。変に他者の価値観に触れると、自分が崩れてしまいそうだった。

 それから人と関わりたいと思う瞬間があった。だから、拙くても外に出て、見知らぬ人とビクビクしながらも関係性を築いて、深めてきた。気づけば頼もしい人々に囲まれている。

 なんで人と関わりたいと思ったのかは不思議だ。伊坂幸太郎の「砂漠」を読んだのは僕にとって転機ではあったけれど、なぜその時期に手に取ったのかは今でも説明がつかない。

 だから、たぶん僕は知っていた。

 いまの自分に必要なものを。
 自分がどうすればいいかを。


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