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気持ちの線引きと切り替え

 やるせない出来事があった。

 自分ではどうにもできない悲劇と出会ってしまった。

 詳しく書けないのだけれど、与えられた環境に苦しんでいる人がいた。そして、それに対して手出しができる状況ではなかった。

 悲劇を生むのは悪意よりも善意だ。
 良かれと思ってやることが、時に歯車を狂わせる。

 その事実を目の当たりにして、落ち込んでいる自分がいた。

 僕自身が被害にあったわけでもないのに、なぜだろう?
 それは自己と他者を混同してしまっているから起こるのだと気づいて、ハッとした。

 誰かに共感するのは結構だけれど、どんなに変わってあげたくても、肩代わりできるわけではない。
 誰かを見て感じる苦しさは相手が感じている苦しさではなくて、あくまでも自分を重ね合わせて感じている苦しさだ。そこを見誤ってはいけない。ある種の自己陶酔であって、そこに浸っても仕方ない。

 結局、自分の範囲を越えてなにかができるわけではない。
 他者の体験と課題と問題はその人のものであって、他者が奪っても仕方がない。

 自分は自分ででできることを淡々とやるしかないのだ。
 昔はこういう気持ちの切り替えに何日も要していたけれど、数時間で折り合いをつけられるようになったのだと喜ばしく思うようにする。
 それが今の僕にできることだ。

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