あの日見た風景を、君も見ている

 同じ風景を見る機会がなくなっている。

 ネットの世界は広大なので、同じプラットフォームを使っていても、まったく違う体験をする場合が珍しくない。「YouTubeを見ている」と一口に言っても、音楽・ゲーム・ラジオ、映画などジャンルも様々だ。YouTuberにジャンルをしぼってみたところでピンからキリまでいるので、友人が同じ人を視聴しているとは限らない。

 だから、テレビやラジオの全盛期と違って、「〇〇が流行ったじゃん」と同世代間ですら言えなくなってきている。一人一人が別々の体験と人生を歩んでいるのは、多様性が浸透している証拠なのかもしれないけれど、共通の文脈で語れる材料がなくなるのには、個人的に寂しさを覚えてしまう。

 初対面の人同士でも、同世代はもちろん世代を越えて話せる話題があるといいなと思う。

 そう思っていたら先日、ある地方都市において、市内の小学生(私立が含まれるかは不明)は必ず「劇団四季」の演劇を観るという話を聞いた。

 その話を聞いて、ほっこりした。

 その土地で育った人には共通の体験があるのだ。年の離れた人とも「小学生の頃さ、劇団四季観ただろ?」って切り出せるんだ。「面白ったね」はもちろん「退屈だったね」すらも話の種になる。

 生きている時代も環境の違う大人と子どもが、同じ目線で語れる体験は何物にも代えがたい。

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。