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常識と決定

 小さい頃は、自分の中にある常識こそが正義だと思っていた。だから、「〇〇ってしなきゃいけないんだよ」と友達にも言って喧嘩になった。
 小学生の頃は特に規範意識の強い子どもだったから、通学路を少しでも外れて帰ることにすら罪悪感を覚えていた。けれど、様々な人と出会い、年齢と経験を重ねるうちに自然とその縛りは少しずつ緩くなっていった。

「常識」とは、結局のところ自分の意見なのだと思うようになった。もちろんそこには環境や文化など自分以外の影響も大いに受けているだろうが、それでも積み上げられてできた意見なのだ。

 意見を表明することは大事だと思う。それをしなければ、すり合わせはできないから。

 けれど、意見を言ったからといって、基本的にそれを他者に強制することはできない。裏返せば、自分も強制されることはない、ということだ。
 納得していなかったとしても、やった以上は自分の意志がのっているということだ。

 最後の最後では、自分が決めている。
 そう思うことで、吹っ切れることがある。

 自分には理解できない決定があって、僕はそれに反対をした。けれど、最終的に今日、僕はそれに同意した。今でも完全に納得しているかといえば納得していないけれど、僕に不利益があるわけではない。相手の決定だから、それを尊重しただけだ。

 様々な決定がある。正解は人の数だけある。

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