表に出てきた時には出遅れ
5年以上応援していた人が、活動を休止した。
その経緯を聞いていて、自分が見ているのは本当に小さな1面に過ぎないと思い知らされた。
芸能人やアーティスト、スポーツ選手、インフルエンサーなど表舞台に立つ人がしばしば体調を崩して、活動を休止する。
「大変だったのだろう」と月並みなコメントをするのは簡単だ。
けれど、なにがどれくらい大変なのか、結局のところ当事者にならないと想像つかないのだ。
見えない部分が大きすぎる。ある日自分の応援する人のライブに行ったとして、1時間接したとしても、それ以外の23時間はなにをしているのか全くわからないのだ。それが月単位、年単位になってくれば、より黒塗りの部分は広くなるだろう。
自分が生まれた時から知っている家族でさえ、知らないことの方が多いだろう。そこにあった葛藤や思考のプロセスは覗くことはできない。起こった出来事から想像するくらいだ。
だからこそ、自分には見えない他者の葛藤を大切に扱いたいと思う。
想像と違う。できない。誰かに非難された。
停滞し、歯痒さを覚える状況で、それでももがいて、自分の内で試行錯誤する。その過程を受け入れる。けれど、遠巻きにせず、つかず離れずそっと支える。そういう人でありたい。
わかった時には、もう手遅れだったとならないために。
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