見出し画像

やり方を教えられなくたって

 やり方を教えてないのに〇〇させるのはおかしい、という投稿を見かけて、首を傾げてしまった。

 確かに自分がやらされる側だった時に理不尽だと感じるだろう。
「なんでやり方も教えてくれないのさ」って文句を言うかもしれない。

 けれども、それもまた僕達に課せられた呪縛に過ぎないんじゃないだろうか?
 つまり、教えてもらっていないことはできないんだって、長年の教育と経験で思い込まされているんだ。
 やり方を教えてもらえることが一体どれほどあるだろう?

 僕らは身体の動かし方も、言葉の発し方も全部やり方を教えてもらったわけじゃない。生きる上で必要だったから、試行錯誤してそれを身につけたんだ。

「速い走り方」は教えられるけれど、「走り方」そのものは教えてもらってない。根源的・原始的なものほど実は教えてもらえないんじゃないだろうか。

 本当にだれか教えてくれるなら、「僕」の最も幸せな生き方を教えてほしい。それはだれかが掲げる仮初めのものじゃなくて、僕自身が心の底から満足できるものだ。

 決してだれも教えてくれないから、僕は今日ももがき、試行錯誤しながら生きている。
 教えてもらえなくたって、やればなんとかなるかもしれない。それはこの文章を僕が書けて、そしてあなたがこの文章を読めることが証明しているだろう。

 ただ、もし幸せな生き方を教えてくれる人が現れたとしても、本当は必要ないんだ。だって、だれかに教えられたことをやるだけってのは心底つまらないから。

読んでいただきありがとうございます。 励みになります。いただいたお金は本を読もうと思います。