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喧嘩するくらい真剣に

「昨日、喧嘩したんですよね」
 そんな話を聞いて、久しく喧嘩をしていないなと気づきました。

 兄弟がいたので、幼少期はよく喧嘩をしていました。僕はいつも負ける側でしたが、テレビのチャンネル争いでなぜあんなに言い合いをしていたのか今思うと謎です。

 今、喧嘩をしなくなったのは、どういう意味があるのでしょう?
 色んな捉え方があると思っていて、1つは喧嘩になる前に自分自身が冷静になれるようになったことが挙げられるでしょう。自分の視点だけでなく、相手にも思惑があるのだと思えば、まずは言い分を聞く姿勢を持てるようになりました。

 もう1つは、自然と喧嘩をするような相手が減っていったのが挙げられるかもしれません。つまり、学校のクラスメイトも家族も、既にそこにいて自分が付き合う相手を選べませんでした。しかし、年齢を重ねるうちに、付き合う相手も選べるようになったので、対話ができないような人は身の回りに減っていったのだと思います。

 ただ、ふとこれでいいのかな? と疑問を覚えました。

 同質性が高まれば、より色濃く境界線を引かれ、味方と敵を明確に分けることになります。それは他者との分断を深める可能性もあります。

 時に喧嘩をするくらい、真剣に自分と他者の違いをぶつけ合ってもいいのかもしれない。ふとそう思いました。

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