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「あみもの第十八号」に寄せて 前編

 こんにちは、深水きいろです。なかなか他のものの感想を書けないまま、こちらがやってきてしまっていました、「あみもの第十八号」。ひざさん、転勤のお忙しい中きっかり25日の発行をありがとうございました。

 全体を読んだ感想からですが、やはり時期もあって雨の歌がとても多いですね。かく言う私もここぞとばかりに雨をタイトルにも入れています。「創作中の雨は降るべくして降っている」。これは私の頭から離れない高校の恩師の言葉です。
 他にはキャラクターもの、生死を連想させるもの、などがいくつかあって、いつも通り相聞歌もきちんとあります。

 今回は歌を引いたのち、全体を読んでいて感じたことを明文化させておきます。(短歌の界隈ではおそらく言い尽くされていることだとはおもうのだけれど、ほら、私にとっては初めてだから。わかってるよって人向けに早めに1回締めるから。安心してね)

 では早速、まずは好きな歌を引いてゆきます。(念の為言います。毎度のことですが長いです)

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クールジャパン/たろりずむ

腕力も金も色気もロボットもない出木杉の頑張る理由
これ以上女学生には頼れぬと月じきじきにお仕置にゆく

 日本の、それと聞いただけで目に浮かぶ有名キャラクターを元に編まれた連作。
 1首目、出木杉くんの「頑張る理由」をそれぞれに考えさせないでくださいな。切なくなるひとがたくさん生まれちゃう。共感できるひとは努力の才があるひとかしら。出来杉にもなれないひとの悲しい読み取りです。(あ、私、出木杉くんに色気はあると思うの)
 2首目、「月に代わって」の由来を考えたことはなかったけれど、どうやら月には意思があるらしい。女学生はそれを代理で行っているらしい。「月じきじきにお仕置にゆ」かねばならぬ先はいったい何をやらかしたのだろう。(そもそも動けるなら最初から女学生に頼らないでやればいいのに、やはりボスキャラは最後に動くのか)
 なんだか前回もたろりずむさんから始まったような。ストックから出しているとはいえ、提出の早いこと早いこと。そして私の好みであること。コンスタントに作り続けているのでしょう、尊敬しています。

琥珀のピアス/一ノ瀬礼子

別々の列車の窓から見る空は落ち合う先につづく夕やけ

 この歌は視点が誰とも言わないのだけれど、読む私たちはふたつの視点を浮かべ、窓から外を二度見て、進む先にある夕やけを二度見ることになる。その先で落ち合うことを予感しながら。同じ方向に同じ時間に進むのに、どうして別々の列車なのだ。言わないことが大切なこともある。
 ここからつづく三首には「吾」「君」「あなた」の三人が登場する。字数合わせでなければ「君」と「あなた」は別人だと考えるが妥当だろう。かなしみを埋め合わせようと別のかなしみを生むことのかなしさ。あなたのひとときの顔でまた生まれるかなしみ。

秘密など何もなかったかのように鏡の中の琥珀のピアス

 ピアスは身体を突き通し、身体の一部のようなふりをする。琥珀は天然樹脂の化石である。かつては宝飾品と重宝されたがいまやプラスチックや人口樹脂に取って代わられその地位は格段に下がってしまった。作者がピアスに琥珀を選んだ理由はここに見える。「琥珀のピアス」は「吾」を保つために突き刺され、「かなしみ」を象徴して揺れている。

夜を集めて/小俵 鱚太

波打ち際にいた家族もういない 暮れて稜線だけになる山

 この、暮れたあとの稜線しか判別できない山がとても好きだ。自然と自然の交わりの大きさがここにある。夕暮れの山の中腹に私が立っていたとして、誰が気がつくだろう。山の裏から私がいくら輝いたとして、表の山肌の木々や崖を隠せるすべはないだろう。やってのけるのは太陽で、それを飲み込む夜で、そうまでしないと勝てない山がここにある。
 家族を見ていたこのひとは一人だろうか。連作を読み進めても並べられた「私」以外に誰も出てこない。まるで別々の場所の別々のひとりの夜を集めたような作品の中で、1首目はどうやら、海のそばで日が暮れるのを見ていた。日暮れ、居ない家族。見えなくなる木々。かつて家族がいたのかもしれない。

かたつむり歩いた跡だ、てかてかに夜のアスファルトひかりは伸びて

 これは初読から大好きな一首。連作の中で集められた夜としては「だ」の言い切りや「てかてか」「ひかり」など幼い言葉遣いが目立つ。直前の「咲きそうな夜更け」なんて痺れる比喩を読んだばかりだからなおのこと、別人を切り取っているように読めるのだろう。
 もう、雨の日の(もしくは雨上がりの)アスファルトの夜道はかたつむりの歩いた(這ったではないのだなあ)跡にしか、見えないんだ、これを読んでしまってからは。そんなわけないのにね。
 もしかしたらこれは「そう見えた」というだけの歌なのかもしれない。書いていないからね。けれど敢えて深読みをすれば、羨ましがっているような、細い細い感情を手繰ることもできる。「夜」や「闇」に対比させる「朝」「ひかり」は往々にして「眩しいもの」の暗喩となる。未来、好きなひと、ポジティブな心。連作の2首目では暗喩どころか明確に表されている。
 ではここの「ひかり」とは。きっと(これは完全に妄想であるが)「かたつむり」は重ねた自身、「歩いた跡」=過去、だとすれば「ひかり」で表された眩しいものは過去に煌めいていたのかな。夜のアスファルトですら伸びさせるひかりを、今はもっていない、歌の視点の持ち主。
 無責任に野暮なことをいえば、歩いたことだけで素晴らしいと思うのだけど。だって、かたつむりは歩けないもの。

天神祭(プロトタイプ)/雨虎俊寛

林檎飴ぼくにあずけて金魚追う浴衣姿のおくれ毛見てる
ほんまやな「花火みたい」ときみの言う濡れる歩道に映る街灯

 細く観察した「きみ」を記す歌たち。これほどまでに見られていることを「きみ」は知っているだろうか。引いた歌の1首目、「林檎」「金魚」の音が重なって気持ちがいい。「飴」「あずけて」「追う」「おくれ毛」の怒涛のあ行も相まって夏の夜にこだまする太鼓の音のようだ。
 2首目、ちゃんと「ほんまやな」って声に出したかしら。なんだか、出していなさそう。「花火みたい」って言う「きみ」は、連作8首目のように、きっとわかってるんだ。見られてること、聞かれていること。それに主体がどう反応しているかも、知られている気がする。声に出さなきゃ、そういう子なら。そしたらきっと、ふふって笑ってもっと可愛い顔をするよ。

あの夏/加藤悠

向日葵の咲く道をゆくあの頃の幼き我と若かりし母
冷えきった指先を撫で擦りつつ いつまでもああこの母でいて
夏の日のあの手のひらは汗ばんで川沿いの道母と歩みぬ

 10首からなる連作の、1、7、10首目を引いた。昔と今の親子の歌、と一言で言えるようなものでもない。タイトル「あの夏」は1首目と10首目のことだろう。手を繋いで川沿いを歩いた、ある夏の幼き日の思い出。2回に分けて初めと終わりに書くものだから、まるで間の歌が回想シーンのようだが、逆なのだ。それがなにやら異様に切ない。いつかこの間の歌たちを主体が「あの夏」と思い出す、そのための歌のようだ。
 7首目を引いたのは願望が書かれていたからである。時は過ぎ、ひとは成長し、衰え、生と死は誰にでも訪れる。8首目で主体はそれをちゃんと捉えている。それでも目の前の愛する母の、すぎる時は止まってこのままでいて欲しい。
 本当はみんなそういうものじゃないだろうか。科学で解明できる世界だと認めていても、それに反すること想うのだ。そういえば、今年の5月は暑かった。冷えきった指先を擦る心持ちは、いかようであったか。

午睡/袴田朱夏

 先程の加藤さんの連作に続けて引くのは袴田さんの連作。本当のところは分からないが、加藤さんの連作と似た構造、そしてまさに、逆の、間が回想シーンのようだ。(違ったらごめんなさい)回想と言うより、考え事のようではあるが。全体に拡がる「だるさ」はタイトルの効果もあるだろう。

人一人運ぶにしては大袈裟な装置であるが社用車に乗る

 この連作は分からないことだらけなので、ちょっと無理はあるが好きに解釈しようと思う。仮定をひとつ。

仮定:「あの人」は主体である。

 そうすると、課長であった主体は不惑になってもまだまだ純に生きたいが故に責任を取って会社を辞める事態になった、と読める。冒頭の社用車は新たな職で平として営業周りをするためのクルマだろうか。社内での舌戦が得意だったはずなのになあ。
 中盤で唐突に出てくる「市バス」はどう読もうか。「ある人」は誰でも構わない。大切なのは「さびしがり屋」ということで、それをだれかが「見下した」ことだ。それを主体は「そこだけ」聴きとる。「人生を一度も生きたことがない」と併せて読むと、主体は未婚であろうか。不惑で、少年のままの、仕事の政治性なんかにやられてしまった、やり切れない人生。切ないから市バスに乗っていたのが新しい職に着くための面接へ向かうところだという妄想はやめておこう。(書いてる書いてる)
 それにしても、「人生の対価」という言葉は重い。生きることに対価が必要なのか。否、対価など。きっと、やりきれなさをついぶつけただけで少年である(不惑の)主体はこうは思っていないだろう、と、ポジティブに妄想を進ませて、終わる。(袴田さん、ごめんなさい)

(仮)うたの日における薔薇七十二本記念/久保哲也

死ぬほどの努力の結果いびつだがホットケーキを焼いてみました

 もう、初句からの流れの落ちる角度が清々しい。「死ぬほどの」を効果的に使うとはこういうことだろう。大袈裟であることはユーモアである。そして結びの「焼いてみました」ですよ、これが。出だしの勢いはなんだったのか、いびつになったので可愛くしめてみました。ってかわいいかわいいですかよ……(おっと口調が)
 久保哲也さんの歌はこういった語句の使い方に妙がある。以下もそうだ。

砂時計に目覚まし機能をつけるのが三日ぐらいはボクの目論見

 「砂時計に目覚まし機能」と言うだけで充分笑えるのだが、「三日ぐらい」ときた。くらいって。なんて具体的に曖昧なんだ。そして「目論見」。目論むほどのことかい、と脳内ツッコミ再生必至。いやそもそも目論んだところでなかなか難しいだろうし目論んでいるだけでは実現しないしその前にここ2、3日の思いつきだし目論むって言うほどのことかい!なんだなんだ果てしなくツッコミが出てくるなこの歌は。大好きだ。
 このnoteの冒頭で「感じたことを明文化させておく」と書いたが、これらもそれに当てはまる歌であった。なかなか、詠めない。まだ、私には。楽しいなあ。(久保さんのお歌はひこうと思えば全部になっちゃうので2首でやめておく。)

同級生/蝉の翅

「長いだけ」それだけのこと葬式に来てくれたらいい諦めている

 付き合いが「長いだけ」、それだけの、同級生。どうか葬式まで。ここまできたらね。

執着の重みをすべて脱ぎ捨てて結婚式に呼ばれはしたい

 この歌の好きなところは「脱ぎ捨てて」という言い回しと、連作最後にもってきた歌意である。執着心を取り除く言い回しはそれこそ「取り除く」やら「振り払う」やら多様にある中で「脱ぎ捨て」るをチョイスするのがいい。どうしても洋服を連想せずにはいられない。(執着の着の字も効いているのかしら。)結婚式、洋服、ときたらウエディングドレスで、それを「脱ぎ捨てる」諦めている主体なのである。歌に明記されている以上にここには大きな愛がある。連作だからこその読みだと思うが、ここまで色々な煩悩を書いておいて、それを全部脱ぎ捨てる、というのだ。ハレの日に立ち会うために。大きな愛だ。

ジョブチェンジ泉の女神/柏原十

暑すぎる都会が嫌になりました泉の女神にジョブチェンジする

 できるの!?できるならする!わたしもする!!!

隠された泉の底はAmazonの倉庫みたいで台車で遊ぶ

 そんなにみんな色んなものを落とすの……?そのたびに金のそれと銀のそれと普通のそれをピックアップするの?大変だなあ……。

だんだんと泳いでばかりの毎日に慣れてきたからヒレが生えそう

 あ、そうだよね、そんなにしょっちゅう落し物はないよね、暇だよね。

水中で見上げた空が眩しくてそのまま天に召される眠気

 うーん、急にロマンチック。水中から見上げると太陽すら微睡むようでゆらゆらきらめいていて確かにこのまま眠りたいって思うな。寝たら死んじゃうかなあ、水中だもんなあ。

 きっと全然関係ないけどなんだか大学生の夏休みを思い出したな。好きなことしかしなくていいって言ってもほんとうにやりたいことじゃないと飽きて暇になっちゃうんだよね、あとでやりたいことがみつかったときのために、時間も貯金できればいいのにね。貯時間。ね。

リハビリーズ/朧

受付で字が書けないと言っている老女の薄い肩がしんどい

 完璧な定型で、完璧にしんどい。しんどいってぼんやりした表現だけど、これはしんどい。心が。私は歳を取ることは嬉しくて、大人な女性を見る度に早くそこに行きたいと思っているのだけれど、なかなか思うようにはいかないのだろう。出来うる限り、美しい人間でありたいと願う。運も味方に。見た目の話しじゃなくてね。人間として。

周期的なる倫理/かさね🚿

純粋なあなたに酔った次のあさ薬を捨てたはじまりはじまり
暗黒の輝き満つる新月がふたりのための正しさ報せる

 ちょっと猟奇的な連作。生命を宿すにも周期と倫理があって、ひとの作為にまみれている。生きているだけではだめですか。
 この主体が最終的に出産までたどり着けているかはイマイチはっきりしない。上記にあげた2首目、「新月」がそれを悩ませるのだ。新月は「はじまり」の意味もあるが「浄化」の意味もある。「正しさ」とはなんのことだろう。「ふたりのための」というのがいい。だって、正しさなんて五万とあるもの。それをきちんと「ふたりのため」と限定しているので読む側も安心できる。
 「あなた」のことを「誠実」「純粋」とわざわざ書けば書くほど主体の作為性が浮き彫りになるが、それすらも意図的であるようだ。繰り返す。生命を宿すにも周期と倫理がある。と、わざわざ書くということは、同時にそこから外れることがある、ということもまた、書いているのだ。世の中には、はみ出さない人がいる。

ラムネ色の空の下で/早瀬ちの

コンタクトレンズのわずかで確かなる厚み瞼で噛みしめよ朝

 たしかに、コンタクトレンズは入れた瞬間だけ厚みを感じる。たしかに。瞼で一瞬、噛みしめる。そのあとはなにも言わず日常に溶け込んでしまう。
 この連作の儚い切り取りはそんな一瞬をすべて瞼で噛みしめたような感覚だ。噛み締めてしまうとしゅわしゅわ泡が抜けてしまうような、特別でない日常をさらさらと描く。これは私の勝手な解釈だが(ここには勝手な解釈しか書いてないけど)タイトルの既視感もなんだか上手い。短歌、夏、とくればラムネかサイダー。そして空。つつけば紛れて見失いそう。
 引いた1首はそれを、確かに在りましたと、確認するような歌だった。

坂道が多い街/モカブレンド

 街のことを詠んでいると思いきや、人生か。「平坦な道を歩けた」と言える人はどれほどいるのだろう。平々凡々です、と口には出せどその実平々凡々だと思っている人は案外少ない。
 と、書いていてなんだが私は平坦を歩んできた方だろう。悩みのひとつふたつ、死にたいと思ったことの一度や二度、なんだかあれやこれやいろいろあったけど「急激だった」と嘆くことが出来るほどのものじゃあない。私のは。

人生も坂道だらけ平坦な道を歩けたことなんてない

 下の句が投げやりで、恨めしいような嘆いているような、外側に意識が向いているかのように読めるのだが、次の連作の最後の歌でイメージが少し変わる。

目標は高く高くと積み上がりまた坂道が出来上がってく

 目標は「積み上がり」とは言うけれど「積み上げられ」とは言わない。まあ「目標を」「積み上げて」とも言ってないんだけど。でも、自分の人生の「目標」は他人に決められるものでは無い。とするとこのひと、ストイックだな。平坦がいい、みたいに読めたけど、このひと、それじゃあ飽きちゃうな。進め、のぼれ、くだれ、自分の坂道。

盆栽日記(もはや土ログ)/小泉夜雨

くろぐろと土 おはやうもおやすみも冬の終はりも告げてゐるのに

 ひととせもすぎてしまったのか。土のままで。盆栽を種からやろうと思ったことすらないから大変さがわからないけれどそんなに難しいのだな。盆栽。いいなあ。土を飼うのには慣れたくないけれど。

雷が怖いんでせうだから芽が出ないんでせう うふふ ちがふね

 旧かなの効果もあってぴりりと刺激される1首。一年中雷がなっていたわけでもあるまい。絶対に、ちがう。笑い声が聞こえるようだ。

アニミタス(ささやきの森/死せる母たち)/西藤智

 ボルタンスキーをご存知だろうか。もし知らなければ、少しググッてきて欲しい。でなければこの連作は読めない。
 生と死、日の巡り、自然の摂理と自分自身。ボルタンスキーのアニミタスシリーズは深いところに手を伸ばす。この連作はその中でもルイ・ヴィトンの美術館で開催されているボルタンスキー展の様子を丁寧に描写している。この、自然の摂理を表現した作品を人工の建物の中に押し込める不自然さ。それを平然とやってのける人間の理不尽さ。

風鈴の森の朽ちる日ここに居る誰もが既に死者であること

 2通りに読めるだろう。1つは風鈴の森が朽ちる日、今ここにいる誰もがとっくに死んでいるはずだ、という意味。もう1つは、風鈴の森の朽ちる日、この作品が生まれたこと=作品が壊される日もまた決められたということ。であるならば私たちは生まれた瞬間から死ぬことの決まっている死者なのである、という意味。西藤さんはどちらで書いたのだろうか。私は、後者の考えの人間だ。とても好きな連作だった。

夏祭り/朝野陽々

 よーよーさん、上手いんですよね。ほんと。よーよーさんの人間性ってなかなか掴めない。というより、掴ませないようにしていそうな。今回のも、よーよーさんをどこに感じていいかはわからない。創作なのだから書き手をわざわざ探すことも野暮なのだろう。引いてゆく。

わがままをぶつけることはできなくてやはり射的を外してしまう

 よーよーさんらしいのである、こういうところが。「やはり」の使い方が的確なのだ。的確に、確実に、射的を外してくる。無理なく。上の句から下の句へは少しの飛躍を含んでいるのに必然なのだ。猛烈に意図的に自然な必然。よーよーさんは不思議な人だ。

口づけてすぐにほどけるわたあめの曖昧さって少し切ない

 キスを連想させておきながら、キスはしていない。これもまた憎らしい。(言い方よ)「少し切ない」とまできちんと言い切るのに、読者には「キスしてないんかーい」という裏切りが残るから「言いきられちゃった感」がないのである。大抵の感情を全部言ってしまった歌は脳を素通りしてしまう。それが、ここにはしたり顔の歌があるのだ。悔しいほどに、上手いんです、よーよーさん。感情を操られてるようで。

次も人なら/神丘 風

たんたんと綴られる5首、その全てが願い事だ。それも、そんなに大それたことではない。ありふれた風景でいい。特別じゃなくてもいい。当たり前でいい。当たり前がいい。そばに存在していてください。今回のあみもので最も穏やかで、最もシンプルな愛の歌でした。

とうこうする?/荻森美帆

天国は青く染まった鳥たちが棲むから青く見えるらしいと

 鳥は比喩だろう。静脈の青いこと、噴き出しても青いことを1首目で記した連作の、これが、最後の1首である。誰に聞いたのだろう。いきものは死ぬと青くなるのかな。青はね、死なんだ。うん。これは私の好きな比喩なのだけど。青いことは死があるということ。だからこの歌の世界観は好き。きっとそうなのだろう。天国があおでいっぱいだから、空は青く見えるのだろう。あ、この歌、空って言ってないんだ。勝手に保管してしまった。だから鳥なのか。目線を空に向けるために。上手いなあ。

象の降る街 前編/あひるだんさー

 後編を、早く読ませてください。こちらからは以上です。

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まって。限界。ひとまずおやすみ。
後編に続く。長いわ。(書いてるの自分だわ。)

あみものはこちらからどうぞ。

2019.07.09
深水きいろ

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