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日本人の心 4 形式美

長島茂雄氏や野村監督の息子たちを見ていると天才の子供はそれなりに親の後をついて行けても、親を超えることは非常に難しいことがわかります。子供の能力は遺伝が半分、環境・努力が半分ということを聞いたことがあります。親は二人いるので両親ともに運動神経抜群で且つ親と同じ技術を身につける環境・本人の努力があれば子供が優秀な親と同じくらい優秀になれることはあるのかも知れません。でも大抵は父と母では遺伝能力は違うことが多いですし、親と同じことをすることに努力し続けられるかもわかりません。ですから実力が物をいうスポーツの世界では二世が親を超えることはほとんどなく、あるとすれば親の方がそれほどではないというケースが多いと思います。

日本では歌舞伎役者や踊りの師匠、生け花やお茶などの家元で家を継いで行く家系が結構あります。普通はこれらの芸を芸能や文化と呼んでいます。芸術の世界でもたとえば日本画の狩野派や陶器の柿右衛門などは芸術の継承の典型的な例だと思います。欧米では芸術は当然、個人の能力や作品で評価されると思うのですが、日本では伝統芸能や伝統芸術の家元や宗家を家族で継いでいくことに疑問を持つ人はほとんどいないと思います。しかし踊りにしても日本画にしても両親がそろって同じ能力を持っているはずはないので遺伝部分で50点には届かず、いくら環境・努力を完璧な50点にしてもなかなかトータル100点にはなりません。そこで昔の人が考えたのは芸術や芸能を形式化して技術・型にすることで一定の能力があればそれを学べるようにしたのです。そうすれば親から子へ引き継ぐことが可能になり、あとは権威さえあれば門下生がついて来るわけです。時折、遺伝子で親を超えたり、努力で親を超えることもあるでしょう。従来の型では飽き足らず型破りな芸を生み出すことで進化が継続していったのだと思います。又、そうやって家元や宗家が続いて来たのです。いずれにしてもこれらは家業ですからしょうがないと言えばしょうがないのかも知れません。しかし、これを世の中が大きく評価し、芸を芸術として持ち上げるのはどうしてなのでしょうか?

日本人は家を守ることが好きなので、個人でなく家を応援するのでしょうか?成田屋!!!それとも継続することに重みを置くのでしょうか?伝統が大好きなのかも知れません。でも伝統自体はどう考えても芸術ではないです。いや個人や家の伝統ではなく歌舞伎とか茶道とかそれ自体が芸術なのだという反論がすぐに聞こえてきそうです。それならなぜ有名な歌舞伎の家系の人が主な役を独占したり、家元が親子継承されるのでしょう。いやいや、こんなこと突き詰めること自体がおかしいと思われてしまいますね。欧米では芸術を家で継いで行くということは余り聞いたことがありません。イタリアやイギリスなど古い文化を持つ国では代々同じ職業につく人達は沢山いると思いますが、あくまで仕事であり、職業です。日本でも芸能は職業だったと言えばそれまでかも知れません。でも歌舞伎役者の子供たちが初舞台に上がると贔屓筋だけでなくテレビの前の一般人まで頑張れと声援を贈り、その成長を見守るのです。ここが私には少し違和感があるところなのです。名家に生まれただけで、全てが用意されているようです。歌舞伎などは役者でも浮き沈みもあるようで現在の名役者の家が必ずしも長い歴史を持っている訳ではないようですが、このままだといずれ伝統という名の固定化が進んでいくのだなと思っています。

料理人の世界でも一子相伝なる言葉があって門外不出のレシピーで家業を継いでいくことがあります。ただ、これは外国でもよくあることでコカ・コーラのレシピーは社長しか知らないという伝説は有名です。これは勿論料理があくまで商売であり芸術ではないからです。でも日本料理はとうとう世界無形文化遺産にまでになりました。伝統好きな日本人は料理も芸術にしたかったのでしょう。(本当は日本料理という分野が完成したのは最近のことらしいのですが)日本人は老舗という言葉も大好きですね。私も大好きです。伝統は安心・信頼につながるからなのでしょうか。

一体何を言いたいのかわからなくなって来ました。芸能が伝統になり、家業として成立すること自体が有史以来、ほんの一時期を除き長く平和が続いた日本ならではの幸せなことなのかも知れませんね。

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