海外生活の記憶 バンコック90’s 8 買い物
自分の投稿を振り返って見ると年を取るとだんだん面白いことがなくなっているのだなと感じます。でもここまで続けたのでもう少し話を続けさせてください。
バンコックで生活をするとつくづく日本人が多いなあと感じます。勿論、自分がそういう環境の場所に行くので当たり前と言えば当たり前の話なのですが、バンコックには日本のものが何でもありました。日頃の買い物はフジ・スーパーというほぼ日本のスーパーと同じような品揃えのところがあり、何でも揃うのです。私がいた90年代前半には2号店も出来ました。そのスーパーの前にはレンタルビデオ店があって前週の日本のテレビ番組はほとんど全て見られました。これが合法なのか非合法なのかはわかりませんが、現地発行の日本語新聞に堂々と広告が載っていたのは確かです。その近くの喫茶店ではビーフカレーもありました。寿司屋やラーメン屋もあり、日本料理店はビジネス街や繁華街にピンからキリまで数多くありました。そういえばお菓子の不二家がレストランをやっていました。食べ物以外でもパーマ屋、不動産仲介、旅行社などサービス業は外資は駄目のはずなのに色々とありました。日本語の看板と日本人スタッフがいるだけで実はタイの人がオーナーなのかも知れません。
この頃に新しいショッピングセンターが出来て伊勢丹がオープンしたことは前に書きましたが、それ以外にもブランド品の店が沢山出来ました。そこには日本人などの外国人だけでなくタイ人も沢山来ていました。タイ人の中には日本人駐在員などより金持ちの人が沢山いるのです。もちろんタイは暑いのでエアコンのよくきいたショッピングセンターに涼みに来るだけのお客も多いのですが。
タイのお土産ではタイシルク特にジム・トンプソンという店が有名でした。始めは日本人にとってはダサい品物が多かったのですが、年々デサインも品質も良くなって行きました。あとはベンジャロン焼というタイの陶器製品でしょうか。日本人用のカラオケバーが並ぶタニヤ通りや隣のパッポン通りの近くには高級時計や衣服の偽物を売る屋台が並んでいました。駐在当初は結構オープンでしたが年々取締が厳しくなり、フェイク高級時計はそのうちに屋台の上から消えそっと頼むと屋台の下から出て来るようになりました。Tシャツやポロシャツなどはロゴが微妙に違う商品が大量に売られていて、こちらは当時は普通に屋台で売られていました。ただロゴの違いだけでなく染料も違うようで他のシャツなどと一緒に洗濯して結局、損をしたこともありました。
洗濯と言えば一つ話を思い出しました。当時外国人はお手伝いさんを使っていることが多かったのですが、同じタイ人でも更に生活水準が低い地方出身のお手伝いさんは洗濯機など見たこともなかったと見えて、洗濯機で赤ちゃんを洗ったとか洗いそうになったとか言う話を聞きました。そういえばタイの電圧は220ボルトなので日本から持って来た家電などは変圧器が必要ですが、差込口が日本と同じような形なので、うっかり変圧器なしでコンセントに差し込んで家電を駄目にしてしまうこともありました。
話がそれてしまいましたが、いずれにしてもバンコックは買い物天国で何でも安く買えました。ただデザインや彩色は派手なものが多いので、買ったものを日本で使えるかは人によるかも知れません。
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