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ショート・ショート 山登り(2)

昨日の続きです。
まだ薄暗い中、ひろしは重いキスリングを背負ってなんとか駅までたどり着きました。まだサラリーマンの出勤前のせいか駅には人もまばらで、息を吐くとすぐに凍ってしまいそうな寒さです。新宿で仲間たちと合流するといよいよ出発です。中央本線で小淵沢駅まで行くとそこから北沢峠に近いところまでバスに乗りました。計画では北沢峠にベースキャンプを張り、2日目は甲斐駒ヶ岳に登り日帰りでキャンプに戻る。さらに翌日は仙丈岳に登り4日目家に帰るというものでした。

高校生のひろしはそれまでスキーはおろか、積もった雪さえ見たころはありませんでした。バスを降りるとあたりは一面雪景色が広がっていました。さあ、いよいよ北沢峠に向けて出発です。重いキスリングを背負っているだけでもふらつきそうなのに、更に雪で足を取られることも多く、ひろしはその度にキスリングが揺れて倒れそうになっていました。体力の無いひろし一人が遅れがちとなると、業を煮やしリーダーの指示で重たい人参やジャガイモなど重い物は先輩の荷物に移されました。申し訳なさと不甲斐なさで泣きそうになりながらもひろしはなんとか北沢峠に到着しました。

北沢峠ではまずテントを張りますが、その後も休むことなく近場でピッケルの使い方の練習です。近くの斜面を使い尻で滑り落ちながら身体を捩ってピッケルを斜面に突き刺し、うつ伏せになって止まるというものでした。何度も何度もこの練習を続けます。ひろしも始めのうちは身体を止めきれずに下まで着いてしまいましたが、段々と下に滑り落ちるまでに止まれるようになって来ました。ポイントはピッケルに思い切り体重を乗せることですが、それが以外と難しいのです。ピッケルの練習が終わると今度は隊員同士をつなぐ命綱を腰に巻いて隊員が尾根で落下した際の練習です。誰かが尾根の右側に落ちたらすぐ後の人は反対側に飛び降りろというわけです。それで重力のバランスを取り他の人が同じ方向に道連れとなって落ちて行かないようにするのです。これは実際の練習が難しいので平地で前の人が右に倒れたら左に倒れる、左に倒れたら右へ倒れると言う反射行動の練習です。今このようなことをやっているのかどうかは分かりませんが、当時学生が考えたのはこんなものでした。もちろん雪の中でやるので倒れても痛くはありません。

練習が終わり、ラジウスでご飯と野菜汁を作って食べ終わると一段落です。リーダーが明日の行動を説明して解散、あとはテントに戻って寝袋で寝るだけです。ひろしは這いつくばってテントに入ると急に膝に痛みを感じました。見てみると何度も擦り傷をつくった膝は血だらけになっていました。応急措置で絆創膏を貼るともう睡魔には勝てません。翌朝ひろしは起床の声で目を覚ますと足が痺れて感覚がありません。靴下を脱いで見ると足の爪が紫色になっていました。濡れた靴下を履いたままで寝た為、夜の間にそれが凍り凍傷になってしまったのです。しかし歩けないわけではありません。その日は天気もよく荷物をベースキャンプに置いて行ったので、ひろしは比較的楽に甲斐駒ヶ岳に登ることが出来ました。頂上に着くと目の前には雲海が広がり、その雲海から突き出た北岳の頂きを見ることが出来ました。雲海より上は雲ひとつない快晴で気分は最高、疲れなど一気に吹き飛びました。

そして次の日、ひろし達は大カールで有名な仙丈岳に向かいました。天気は昨日とうって変わってどんよりとしています。尾根伝いに進んで行くだけなのですが、尾根と言いながらも雪で埋もれているのでどこが道なのかは全くわかりません。ひろしは先輩の歩いた足跡に足を突っ込みながら先に進んで行きました。でも下ばかり向いているので景色を見ている余裕などありません。そうしているうち風が強くなりあっと言う間に数メートル先も見えないほどの激しい吹雪となりました。風に吹き飛ばされて大カールを滑り落ちれば、間違いなく一巻の終わりです。リーダーの声で一行はみな身体を低くしてその場にうずくまり、ただただ吹雪が収まるのを待ちました。激しい風と雪がひろしの身体に当たり続けました。このままでいたら雪で埋もれてしまうのではないかと一瞬不安になりましたが、幸いなことに吹雪はそう長くは続きませんでした。

登山隊はそれ以上進むことを断念して北沢峠のベースキャンプへ戻ることになりました。そして翌日も再挑戦することなく無念の下山となりました。ひろしだけは満身創痍の状況でしたが泣き言を言う訳にも行かず、ひたすら膝とつま先の痛みを我慢していました。帰りの電車では皆無口で、集合場所だった新宿駅に着くとそこで静かな解散となりました。ひろしはぐったりしながら母が待つ家にたどり着きました。風呂に入って足の爪を見るとすでに真っ黒になっていて、小指を除く殆どの指の爪は何日か後にはそのままの形でポコッと綺麗に剥がれ落ちました。幸い黒くなった指は徐々に元の色に戻り、爪が剥がれた跡には甘皮のような爪が浮き上がるように生えて来てだんだんと固くなり最後は普通の爪の硬さになって行きました。

「もうこんなことは止めて」と泣くように頼む母の言葉に、それまではなんでも自分の思う通りにして来たひろしも流石に従うしかありませんでした。ワンダーフォーゲル部に退部届けを出すとその日から受験勉強の日々が始まることになりました。

隊列をねじ伏せしかな春吹雪

今考えればもう少し吹雪が続いていたら我々の命はあったのかどうかもわかりません。無謀にもほどがあると言う高校登山でしたが、吹雪がねじ伏せてくれたことでそのあと色々なことも学べました。

凍傷の痕を擦りて仰ぐ空

凍傷の跡なので季語としてはとても弱いですな。空を見ながら思うことはいろいろです。今までの人生でも色々な空がありました。

裏切りの後ろめたさや春登山

ひろしの途中で退部した後ろめたさはいつまでも消えることはありませんでした。卒業から40年たった同窓会でようやく一人の部員に謝ることが出来ました。優しい彼は何事も無かったように接してくれました。残念ながらもう一人の猛者は卒業以来一度も同窓会に来ていないので心の棘はまだ完全には取れていません。

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