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海外生活の記憶 欧州2000’s 41 アントワープ

ベルギーといえばチョコレートにダイヤモンドですが、特にダイヤモンドはこのアントワープが有名でダイヤモンド取引所が4箇所もあるそうです。でもアントワープが日本で有名になったのは、やっぱりフランダースの犬のアニメですね。このあたりをフランドルとかフラアンデレンと言いますが、フランダースの犬はイギリス人が書いた本なので、英語でフランダースの犬です。

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この聖母大聖堂があのネロ少年が、吹雪の中でたどり着いた大聖堂です。

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お金がなくてキリストの絵を見たくても見られずにいたネロが最後にたどり着いたこの大聖堂で、一筋の月光が大聖堂を照らし見たかったあの祭壇画を映し出します。ネロは神に感謝しながら息を引き取り、次の朝、愛犬パトラッシュとともに冷たくなっているところを発見されます。

それがこの大聖堂です。

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見たかったルーベンスのキリスト降架、昇架の絵が飾ってありました。何となく切なくなります。

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この絵を描いたルーベンスはドイツ生まれですが、ここアントワープに住み、大きな工房も持っていて、今はルーベンスハウスという美術館になっています。

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聖母大聖堂は16世紀に建てられたゴシック様式の教会で当時はネーデルラントで一番高い建物だったそうです。下の写真はトヨタが寄贈した記念碑に置かれたネロとパトラッシュの姿です。ブラボーの噴水像が反射してわかりにくいですが、よく見るとネロとパトラッシュが見えます。実はフランダースの犬はイギリス人がイギリスで書いた小説で、ベルギーでは余り有名ではないのです。日本人観光客がよく訪ねて来ることでこの物語を知ったベルギー人も多いようです。この記念碑は日本語しか書いていないので現地の人には何のことかさっぱりわかりません。評判が良くなかったのかどうかわかりませんが、今は撤去されて2016年に中国が寄付した何とも情緒のない白いネロとパトラッシュが大聖堂の前にオブジェとして置いてある(寝ている?)ようです。

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参考写真 中国寄贈フランダースの犬 悲しいです!いやいや、敷石が布団になっていて面白いのかも。

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グローテ・マルクト広場には聖母大聖堂の他にも市庁舎やブラボーの噴水、ギルドハウスなどがあって名所をあっという間に一回り出来ます。下の写真は市庁舎でその下がブラボーの噴水にある像です。

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ブラボーの噴水は古代ローマ帝国の兵士ブラボーがこの街を荒らしていた巨人を倒し、手(ant)を切り取り(warpen)投げたことからアントワーペン英語でアントワープという名前が付いたと言われています。

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ギルドハウスが並んでいて本当に美しいです。フランダース地域はアントワープを含めイギリスから羊毛を輸入して毛織物を作っていたのですが、15世紀になりイギリスから毛織物が入って来るようになるとその輸入を禁止します。ただ、アントワープだけは輸入を続けた為、ケルンの商人が買付に来る様になり、南部ドイツ、イタリアへとライン川経由の取引が盛んになります。その結果、それまでジェノヴァやスペインとの取引で潤っていたこの地域一番の港ブルージュからアントワープに商館が移って来るようになりました。ここからアントワープの発展が始まります。

ちなみにベルギーは絨毯でも有名でオランダ商人が徳川家康にベルギー絨毯を献上したという記録があり、京都の祇園祭では山鉾のまわりをベルギー絨毯で飾ってある鶏鉾があり将軍家から戴いたものだと言われています。

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スペインは15世紀にレコンキスタを完成させるとイスラムだけでなく、ユダヤ人も追放しました。そしてそのユダヤ人を受け入れたのがアントワープだったのです。ナチスドイツにも迫害されたユダヤ人ですが、第二次世界大戦の後もアントワープはユダヤ人を受け入れ現在でもヨーロッパでのユダヤ人の中心地になっているのです。ダイヤモンドの研磨は大変難しく、その研磨方法を見出したのがユダヤ人で昔からアントワープで研磨されていましたが、ダイヤの原石もユダヤ系のデビアス社が抑えたことでアントワープはダイヤモンドの取引が集中する場所になったのです。

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16世紀末から17世紀前半のオランダ独立戦争の中で反スペイン派のプロテスタントはアントワープを追われ、オランダ・アムステルダムに移住しましたが、それに伴い、アムステルダムは商業・金融業の中心地となり、アントワープは徐々にその勢いを失って行くのです。

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その後、19世紀初めにこの地を占領したナポレオンはアントワープをロンドンに対抗する港にしようとしましたが、思い半ばでワーテルローの戦いに破れ、その夢は実現せずに終わってしまいました。

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ブラッセルの近くのワーテルローの戦いの跡地はしっかり整備されていて、ライオン像の丘と呼ばれています。イギリスが勝った戦いなのに何故こんなにきれいに整備されているのかなと思いましたが、考えればベルギーも戦勝国なのですね。

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フランスとドイツの大国に挟まれて、その上ネーデルラントから分離後に独立したベルギーは今でもフランス側はフランス語でオランダに近い地域はゲルマン系のフラマン語となかなか複雑ですが、私の大好きな国です。





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