海外生活の記憶 米州2010’s 27 アラスカ州デナリ国立公園
アラスカは是非米国駐在の間に行きたいを思っていた場所でした。30年以上前にニューヨークへの行き帰りに寄ったアンカレッジ空港から見た景色は目に焼き付いていました。今回の旅行の目的は昔はマッキンリー山と呼ばれ、今は現地語でデナリと呼ばれる6000メートルを超える山を見ること、そしてもう一つは氷河が海に崩れ落ちるところを氷河が無くなる前にこの目で見ることでした。
アラスカの冬は早く、デナリ国立公園は9月15日で冬季閉鎖となるのでぎりぎりのタイミングで出かけました。
ニューヨークからフェアバンクス空港まで来たものの、迎えてくれたのはシロクマさんだけで現地案内の人が誰も来ていないのです。現地時間で夜11時は過ぎていたと思います。しかたなく旅行社に電話をかけますが、もうすぐ着きますというばかりで既に夜中の空港は誰一人いなくなりました。
だいぶ時間がたってやっと来たガイドは謝ることもなく、もともと来る予定だった人が来られなくなったので迎えに来てあげたといって恩着せがましい感じです。そう、ここは日本ではありません。いつものことと諦めてじっと我慢です。
車は暗い夜道をひた走り始めますが、なかなか宿舎に着きません。1時間半くらいかかってやっと今日の宿チェナ温泉に着いた頃にはニューヨークを出てだいぶ時間がたっていたので、まるで海外にでも来た感じでもうぐったりです。そのままロッジのベッドにバタンキューのはずでしたが、オーロラが見えるというので急遽レストランのあるロッジでオーロラが出るのを待ちます。うっすらと見えたような見えないような、不完全燃焼で感動もなく部屋に戻りました。
ところが次の朝、目が覚めると自分がいる場所がなんと素敵な場所だったと驚くばかりでした。
岩で囲まれた屋外の温泉からは湯けむりが上がり、そのそばになんと大きなムースがいるのです。見た目は優しそうなのですが、なにしろ大きいので近づくのも怖い感じです。間違いなく彼?の背中は私の身長を超えています。
温泉村を探索すると氷の美術館という建物がありました。騎士の彫刻やチェスの駒、氷のベッドもありました。そしてバーカウンターみたいなところでドリンクも飲むことが出来るのです
時間もあまりないのでゆっくりと温泉に入るひまはなく、フェアバンクスに戻ってマッキンリー・エクスプレス鉄道に乗車です。
窓は天井まであり、空まで見る必要あるかなと一瞬思いましたが、ポイントは窓枠を全く意識しないで景色が見えることです。
アラスカのビールも堪能しました。
マッキンリー・エクスプレスはほとんど川沿いを走ります。
峡谷を曲がりくねって走るので先頭車両がよく見えます。
アラスカの自然とその大きさを十分に堪能しているとデナリ国立公園の駅に到着です。
デナリ国立公園に到着するとあたりの景色の色が一変します。地面全体が赤いのです。
マッキンリー・エクスプレスと違いバスはまっすぐの道をひた走ります。
ここからは許可された車だけが国立公園内を走ることが出来るのです。下の写真は休憩時のもので、バスはこんな感じでした。
地面を赤く見せている低木はブルーベリーやクランベリーなどでその葉っぱが紅葉しているのです。
遠くに山並みが見え始めます。
デナリ山はだいぶ近くなって来ました。
バスの中のモニター画面には望遠カメラで撮影した映像が写されます。つまりリアルタイムで外の景色を見せてくれるのです。何かが見えると車を止めて、しっかり焦点を合わせてくれます。
自分の目でもグリズリーベアの姿を確認出来ました。
私の見たグリズリーベアはカップルのようでした。グリズリーはブルーベリーなどベリー類が大好物なんだそうです。
白く見えるのはカモシカです。
そしていよいよデナリ山に到着です。
デナリとはインディアンの言葉で偉大な山という意味ですが、実はマッキンリー山が連邦地名局で正式にデナリ山に変更されたのは2015年で、オバマ大統領により決定されたそうです。つまりこの時点ではデナリは正式名ではなかったということになりますが、現地ではデナリ国立公園だったし、山もデナリ山ですと説明を受けました。1975年からアラスカ州政府はデナリとするように連邦政府に働きかけ、1980年には州法によりデナリと変更されていたのですが、連邦政府はずっ〜とそれを認めてこなかったのです。何しろマッキンリーはスペインとの戦争に勝利し、フィリピン、グアム、プエルトリコを併合し、ハワイの合衆国入りも決めた共和党の第25代アメリカ大統領の名前なのですから。
さあ、ここからは飛行機に乗ってデナリに最接近です。
滑走路を飛び立つと一気に高度を上げます。
まずはデナリ山の上空に来て、そこからゆっくりと下がって山頂に近づいて行きます。
1984年の2月、あの植村直己さんが冬のマッキンリー山の単独初登頂に成功し下山途中で行方不明となり、文字通り帰らぬ人となったのはここデナリなのです。山頂は夏でもマイナス20度と想像以上に厳しい環境であることがよくわかります。
植村さんは1970年には夏のマッキンリー山を制覇し、世界で初めての5大陸最高峰制覇という偉業をすでに達成していたのですが、何故、冬という困難に敢えて挑戦したのでしょうか。
デナリを見ていると昔、ニュージーランドのマウントクックを飛行機でまわった時のことを思い出しました。マウントクックでは雪上飛行機に乗って、頂上付近のカールのような場所に着陸し、また離陸して帰って来ました。
なんでノートに書いていないのだろうと考えて、前の投稿を読み返すと欧州から旅日記のようになって、それまでの海外生活の記憶からだいぶ変化してしまったことに改めて気が付きました。そろそろ米州も終わりに近づいて来たので、それが終わったらアジア・オセアニア編も書いてみようかなとも思いますが、アジア・オセアニアは昔なのでデジタル写真がないのです。どうしようか思案中です。
雪山の感動はマウントクックの方が大きかったのはやはり若かったからでしょうか。いろいろな経験を積み、いろいろな場所に行き、いろいろなものを見ると、ひとつひとつの感動は確実に薄くなります。これは経済学で言う限界効用逓減の法則なのでしょうか。記憶とは感動や五感と正比例と言うことになるのでしょうか。
ともあれデナリはやはり凄いです。平原が標高600メートルくらいでデナリが6100メートルとして、5500メートルも高低差があるのはここぐらいだそうです。エベレスト山はデナリより2700メートルも高いですが、まわりも高いのでこれだけの高低差はないのです。
はるか下には緑や黄葉が見えています。そして無事着陸です。
ここからは次の目的地アンカレッジまでバスで向かいます。
赤い地面ともそろそろお別れです。
後ろには今まで見て来たデナリ山が美しい姿で見送ってくれました。