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ショート・ショート 山登り

春暁や揺れるリュックに憂う母


ひろしは生物班に入ったものの、もともと生物には興味がないので小旅行以外は徐々にさぼり気味になっていました。やはり男友達とやれるものがいいなと思いながらも、殆どの運動部は皆入学時から練習しているので途中からではハンデが大きいなと入るのをためらっていました。そんなある日、ひろしと同じクラスの生徒がワンダーフォーゲル部に入っていることを知りました。これならハンデはないかも知れないと早速入部することにしました。ワンダーフォーゲルとは山歩きのようなものなので運動部とは言っても、ちょろいものだと勝手に思っていました。部員も三年生がそろそろ受験勉強の為に部を卒業するころです。1〜2年生は合わせても7人くらいで1年生は私を入れても3人という小世帯でした。

しかし入ってみると現実は予想に反し厳しいものでした。まず山歩きではなく山登りの部でした。数年前に遭難事件があり山岳部は廃部となり、残った部員で作ったのがワンダーフォーゲル部でした。そんな訳でいずれは山岳部の再興を目指すという空気が漂っているのです。練習はと言えばまず5キロほど走って、後は部員を背負って屋上まで階段の上り下りです。でも普通の「背負う」ではなく、部員がしゃごむとその肩にもう一人の部員が腕を真っ直ぐ伸ばし背筋も伸ばして乗っかります。それから下の部員は上の部員を落とさないように立ち上がるのです。乗っかる生徒も腕を鍛えられる合理的な練習ではありますが、このままの体勢で屋上まで上り下りするのですから結構大変です。部室にはキスリング(大型リュック)に砂を詰めたものも置いてあり、人数が足りないときはそれを背負っての上り下りをすることもありました。

それでもひろしは1年以上は部員として練習を続け、週末には丹沢や高尾山など近くの山へキャンプに出かけました。テントの組み立ては勿論ですが、薪に火をつけて飯盒炊飯、カレーなどの簡単な料理作りと山登りに必要なことはマスターして行きました。そしてひろしが三年生になる春休みのことでした。部の先輩卒業生から南アルプスの縦走へ行かないかとの誘いがありました。先輩は大学の山岳部に属していて彼らの登山隊に同行しないかというものでした。基本的には大学の山岳部が計画するので身体だけついて来られれば大丈夫だと言うのです。三年生は3人だけです。一人は毎週山に出かけている猛者でした。もう一人は得体の知れない感じながら何でも食らいつくような不思議な生徒でした。ひろしはしばらくためらったもののここで自分だけ行かないわけには行かず、覚悟を決めました。

しかし、3月の仙丈岳、甲斐駒ケ岳はひろしが考えるほど甘いものではありませんでした。共に3千メートルクラスの名山です。それも3月と言えばまだまだ雪がかなり残っているのです。アイゼンやピッケルを好日山荘で買いましたが、まだ昭和40年代も始めの頃のことです。家もそんなに豊かではないひろしは道具に金がかけてしまったので洋服類はなんとか自前で賄おうと母親に頼んで厚手の長靴下を編んでもらい、ニッカポッカは厚手のズボンの下の方を切ってもらい、なんとか急ごしらえの登山服を揃えました。家を出る時のキスリングは20キロくらいあり、それを背負うには玄関に寝かせたキスリングに自分が背中を乗せ、そのまま身体と一緒に持ち上げるのです。そうやって何とか立ち上がるとそれを見ていたひろしの母親は最後の最後まで「本当に大丈夫なの」と心配顔でひろしを見送りました。

長くなるので今日はここまで、ひろしの冬山での悲惨な経験は明日また投稿します。

春暁や揺れるリュックに憂う母

亀鳴くや天井仰ぎリュックしょい


玄関でキスリングを背負った時を思い出したら、急に亀の姿が頭に浮かびました。同じ春の季語なのでついでの一句です。

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