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バレンタインデー定年と共に消え

バレンタインの時期になりました。聖バレンタインとは紀元3世紀、ローマ皇帝クラウディウスが兵士の結婚を禁止していたのにも拘わらず内緒で若い兵士の結婚式を行った為、最終的に処刑されたと司祭のことです。その処刑日は2月14日であり、家庭と結婚の女神ユーノーの祝日でもありました。それから1000年以上を経て14世紀に起こったルネッサンスの結果、この3世紀の出来事は「聖バレンタインは愛や結婚の象徴」として復活したのです。でもその物語が復活しても庶民が皆それを知るようになるのにはまだ500年が必要で19世紀になり郵便切手が発明されたことで、バレンタイン・カードを送る習慣が一気に広まったのです。1868年にはイギリスのキャドバリーと言うチョコレート会社がハート型のファンシーボックスにチョコレートを入れて売り出し、それにカードをつけて送るということもあったそうです。ただイギリスやアメリカではチョコレートに特化されることはなく愛のメッセージを送るバレンタイン・カードや愛の告白の日として定着していったみたいですね。

しかし日本では欧米と異なり、女性から男性にチョコレートを贈り、愛を告白する日と言う日本独特の習慣が出来上がりました。2月14日にバレンタイン・チョコを送る習慣を作ったと言われるメリーチョコレートの2代目社長の話ではまだ青山学院大学の学生だった1958年にパリにいた先輩からバレンタインデーの習慣を聞き、チョコレートの販売を思いついたそうです。さっそく伊勢丹新宿店でバレンタイン・チョコレートを売り出したもののたった3枚の板チョコしか売れずに大失敗だったそうです。しかし社長は諦めることなく翌年にはハート型のチョコに to と from の文字を入れ、販売する時は鉄筆で希望の名前を彫ることを考案し徐々に認知されて行きました。その成果もあって1965年に三越、1966年に松坂屋と販路を広げていったと言うことです。でも本当は戦前の1936年に神戸のモロゾフ製菓が「バレンタインデーにチョコレートを贈りましょう」と言う広告を出しており、メリーチョコレートが発案したという説は徐々に語られなくなって来ました。私の生家の近くにメリーチョコレートの工場があり、特に親近感を持っていた私はことあるごとに自慢話のようにこの話をしていました。ちなみに女性から男性に贈るという習慣についてメリーチョコレートの社長は「勘違いでした」と言っていますが、自分から告白する機会がなかった日本女性の為、いや女性なら買ってくれるだろうと思って仕組んだ「確信犯」に違いないと私は勝手に想像しています。

バレンタインデー定年と共に消え

バレンタインデーは間違いなく昭和の季語でしょうね。いつもはキゴサイ歳時記が頼っていますが、念の為、角川の歳時記もチェックしましたが、ちゃんと載っていました。定年後には全く縁がなくなりましたが、義理チョコはゴマすりと一緒でわかっていながら摺られていると何となく気持ちがいいのです。

バレンタインデー無口の君に熱きチョコ

私の高校時代にもバレンタインチョコがあった気がします。ちょうど三越や松坂屋にメリーチョコレートが並んだ頃ですね。今のようにチョコを溶かしてお手製とは行きませんでした。チョコをもらったピークは間違いなく会社に入ってからです。もらったチョコを人にあげていいのか分からず、何日も机の引き出しからそっと出しては食べていました。

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