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日本人の心 5 個人主義

個人主義の反対語は全体主義と辞書には書いてあります。今、中国は欧米から人権問題を追求され、日本もいよいよこの問題で旗幟鮮明にしなければならない時期が近づいています。米国はオバマ政権までは中国も近代化、経済成長が進めば国民の意識が高まり、徐々に民主主義へと移行して行くものだと期待していました。しかし実際は経済成長が進み、米国を脅かすほどの経済大国になっても共産党の力は弱まるどころか、ますます強まり元々中国の領地でもなかった地域まで共産党支配を強め、自治区の権限はないに等しい状況になっています。

何故こうなってしまったのでしょうか?私は中国人が個人主義の権化みたいな民族で、面従腹背、国に政策があれば民に対策ありで国がどうであろうと自分がうまく立ち回ればよいと思っているからだと思います。いや国が国民をコントロールしてくれるのなら、その方が仕事がやりやすいのかも知れません。あとは虎の尾を踏まないようにうまくやればいいのです。

私は天安門事件の直前に北京に行き、街のあちこちで集会が開かれているのをこの目で見ました。中国にも民主化運動があることを肌で感じました。当時、交渉していた中国人は尊敬出来る立派な人が多く、会議の後に行われる宴会での乾杯ごとに行われる口上には閉口しましたが、しっかりと意見を持っていた気がします。外務省には英語をしゃべる若手の職員が採用されていて、この人たちが未来の中国を作って行くのだなと期待していました。でも天安門事件で全てが変わったのだと思います。中国人の面従腹背精神はしっかり残っていて、国家とはうまく付き合うが、決して逆らわない方向へと進んでいったのです。鄧小平の出現はこれを政治的にも後押しして、経済中心に突き進んだ中国は本当に共産主義の国なのかわからなくなって来ました。

習近平はこの行き過ぎた資本主義化を防ぐべく、様々な粛清を行って来ましたが、貧富の差が激しくなった中国の国民はこれを歓迎しました。そしてみんなが平等に貧しかった頃の共産主義とは違う形で共産党が強くなっています。そして強国となった今こそ西欧社会とは違う世界を作ろうとしているのだと思います。中国人は過去を忘れません。イギリス人が植民地インドから大量のアヘンを持ち込み、中国人をアヘン漬けにしたことを忘れてはいません。犬と中国人はこの先入るべからずと書かれた租界の看板を忘れていないのです。日本人に対しても同じことです。支那事変や南京事件を記憶し続けているのです。

なぜ「日本人の心」に中国のことを書いているのでしょうか。私はここで日本人は個人主義なのか全体主義なのかを考えてみたいのです。戦前は軍部による全体主義であったが、戦後は米国に教えられた個人主義になったというのは余りに表面的です。日本人にとって個人主義という言葉には否定的な響きがあります。多分わがままな感じが先に出てしまうからでしょう。でも本来の個人主義は人間の尊厳に基づいた自由意志を尊重する主義であるはずです。日本は戦争に負け、進駐軍に国を否定するような教育をさせられた為、愛国やお国の為という言葉は禁句となりました。でも日本人は個人でなく組織に貢献することで自己実現をしようとする傾向があります。だから戦後の日本は国の代わりに会社の為に懸命に努力して来ました。会社の為なら法律を破っても構わないという異常な状況さえありました。いや過去形ではないかも知れません。

ということは日本人は個人主義というより全体主義者ということなのでしょうか。私にはそれにも違和感があります。では集団主義者と言われるとどうか、う〜ん。何となくあたっているような。確かに絆が大好きです。逆に村八分にされるのは嫌です。島国で土地に対する執着が強く、そこでまわりとうまくやって行こうとします。最近はUターンだけでなく、Iターンと言って都会の人が田舎に住もうという言う新しい動きも出てきて、マンション族には土地への執着などは無くなっています。会社でさえ転職が普通になりつつあり、最早転職はハンディキャップにはなりません。ということは集団主義さえ消えていったのかも知れません。そもそもこんなレッテルさえ無意味なものかも知れません。特に若い人達はすでにグローバルにものを見ていて、アメリカで活躍する大谷選手やこの度見事ゴルフのマスターズで優勝した松山選手など昔の日本人からは考えられないようなことを成し遂げています。勿論、私を含め日本人がこの快挙に大喜びしている姿を目の当たりにして、日本を愛していいのだ、日本人を褒めていいのだ、世界中の人が皆、普通にやっていることを遠慮なくやっていいのだと感じる自分がいました。そもそも個人主義と全体主義という西洋流の分け方がおかしいのかも知れません。人権主義か非人権な専制かで考えればいいのかも知れません。今回の松山選手に対する世界中の称賛を見て、ようやく日本も普通に世界に受け入れられるようになったことを改めて感じることが出来ました。これを契機にコロナ禍で始まったアジア人差別が早く終結してくれることを切に願います。

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