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ショート・ショート 土下座

秋の蝶迷い飛びる夜の街


芳子はひろしの家の近くにある金物屋の娘でした。ひろしとは小中学校が一緒で見慣れ過ぎて何とも思わないのですが、学校では美人と言う評判で確かにひろしが見ても顔は整っていました。背も高く、すらっとしていますが、どこか人を寄せ付けない冷たさというか覚めた女の子でした。

中学に通っていたある日のことです。芳子を気に入っていた直人はいつも彼女にちょっかいを出しては反撃をくらって喜んでいました。でもその日は特に反撃がひどく、芳子は土下座して靴を舐めろと直人に要求しているのです。あまりの状況にたまりかねた淳が割って入りました。既に土下座している直人を引っ張り上げると芳子に向かって「そこまでしなくてもいいだろう」と突っかかって行きました。芳子はなんの抵抗もせずに「ふん」とよそに行ってしまいました。「どうしたんだよ」と淳が直人に聞いてもただ黙っているだけでした。

少し場が落ち着いた頃やって来たのがひろしでした。まだすすり泣きしていた直人は「俺がいけないんだ。俺がひどいことを言ってしまったんだ。」と言うだけです。実は芳子はめかけの子で近所の人はみんなそれを知っていました。お父さんは都議会議員ですが、もともと半分ヤクザみたいなおっかない建設会社の社長です。小学生のころはみな結構「めかけの子」とはやしたりしていましたが、中学になるとそんなことを言ってはいけないということを学んで行きます。それなのに直人はそれを直接芳子に言ってしまったのです。好きな相手になんでそんなことを言ってしまったのだろう。直人は完全に落ち込んでいました。それ以来直人は芳子にちょっかいを出すこともなくなっていました。

それから5年くらいたった頃でしょうか。ひろしは直人とは割と気があって高校も大学も違うのに偶に連絡を取り合っていて、その日も大学が終わったあと新宿で待ち合わせ、晩飯を食べたあと歌舞伎町をうろうろしていました。するとやたら可愛いお姉さんが二人に近づいて来て「いいお店ありますよ。私が連れて行ってあげる。」と声をかけてきました。そして彼女に誘われるまま雑居ビルの6階にあるお店に向いました。エレベーターの扉が開くとそこは廊下もなくいきなりお店に入った感じになっていました。ひろしは連れて来てくれた可愛いお姉さんが一緒に飲んでくれるとばかり思っていました。しかし慇懃無礼の蝶ネクタイの男が彼女を切り離すように「こちらです」と有無を言わせず二人を暗いボックス席に連れて行きました。二人が少し緊張気味に待っていると、そこに現れた綺麗な女の子はなんと中学卒業以来会ったことも無かった芳子でした。

「あんた達、こんなところで何してるの!」と芳子がほとんど叫ぶように言葉をぶつけて来ました。「えっ芳子か〜!」二人ともびっくりして同じように大声を上げました。「しっ!静かに!!私はそよぐって言うのよ!ここでは。」そこにボーイが現れたので皆一瞬声を潜め、言われるままに注文をします。「ビールにあとはなんかおツマミでも〜」とひろしが言うと咄嗟に芳子が「あっビールだけでいいわ!」と遮りました。「お姉さんは?」とボーイが聞くと「ああ私はいいわ!」と言ってボーイを帰します。ボーイが引っ込んだあと芳子は少し小さな声で「あんた達!この店がどんな店だか知ってるの?この前も早稲田の学生さんが来て、お金が払えないからって時計をかたに取られていたわよ!」しばらく二人とも顔を見合わせ声も出ません。やがてビールの小瓶が2つテーブルの上に並びました。それを飲み干すと芳子が「お客さんがお帰りで〜す!お会計お願いしま〜す!」今度は怖い顔をしたお兄さんが請求書を持って現れます。そこには今までの飲み屋では見たことが無いような金額が書いてありました。二人で2万円、ビール2本でおツマミなし、お姉さんのドリンクもなしで2万円です。ひろしの下宿代が食事付きで4万円の時代です。ひろしは自分の財布を開けましたが1万円札など1枚も入っていません。直人はかろうじて2万円を持っていたので支払いを済ますと真っ青な顔をしてソサクサとエレベーターに乗り込みました。その時、芳子になんと言って帰ったのかさえ二人は覚えていませんでした。

エレベーターを降り、外に出たとたん二人とも腰が砕けたかのような状態になりました。身体もまだ少し震えているようです。「2万円か〜!」直人が改めて失った金額をつぶやきました。「でもさ〜」ひろしは少し冷静さを取り戻しこう言いました。「でもあの時、芳子に止められず、おツマミやドリンクを頼んでいたら一体いくらになっていたんだろう?5万かな?それとも10万かな?怖い〜〜!」「そうだな〜。2万円で済んで良かったのかもな〜。やっぱり持つべきものは友か〜!」

二人は顔を見合わせヤケクソの大笑いをしながらネオン眩しい歌舞伎町をあとに駅へと向かいました。

秋の蝶ひらり舞い飛ぶネオン街


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