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ショート・ショート オレンジの香り

薔薇一輪マツコはやはりデラックス


ひろしは見たかったフランス映画が新宿歌舞伎町の映画館で上映されているのを新聞広告で見つけるとその週末に一人で見に出かけました。大学生になっていたひろしは映画を見る時は基本一人で行くことに決めていました。誰かに気を使うことなく映画だけに集中出来るからです。映画を見たあと、そのまま下宿に戻るのも何となくもったいない気がして、しばらく新宿をぶらついていました。映画館を出ても気分はまだフランス映画でした。そんなひろしに小柄な若い男性が近づいて来て「XX君じゃない?」と声をかけて来ました。「いえ違いますけど」とひろしがそっけなく答えて歩き出そうとすると男は後を追うように「もしかしてサッカーをやっていなかった?」「いいえ」そんなやりとりの後、「でもよく似ているな〜。友達とそっくりなんだ。少し話をさせてもらってもいいかな?」と言い出しました。ひろしは暇を潰しているところだったので気楽な気持ちで「いいですよ」と答えると近くの喫茶店にその男と二人で入ることになりました。

男は絵描きをしていて女性向けの小説セブンという雑誌の挿し絵を描いていると言って、その本も見せてくれました。男は確かに色白で細身、絵描きと言われればそうかなと思わせる雰囲気でした。「他にもいろいろと絵を描いているんだ。よかったら部屋に見に来ない?すぐ近くだから」ひろしは既に絵描きに興味を持ち始めていて二つ返事で「いいですよ」とついて行きました。彼の家は新大久保にある木造アパートの二階で外階段になっていました。部屋に入ると絵がところ狭しと置いてあります。ひろしは「そこに座って」と言われるままに椅子の腰を下ろしました。部屋にはオレンジの香りが漂っていてひろしは何となく違和感を感じていました。しばらく部屋を見回していると奥から戻って来た男は「君のことを描いてもいいかな」と言い出しました。「いいですよ」ひろしはまたまた軽く返事をしていました。

始めは椅子に座ってじっとしていましたが、「う〜ん。上半身は裸の方がいいな」と言って男はひろしの洋服を脱がせました。それでも言われるままに座っていると今度はそばにあるベッドに寝かせて寝顔を描きたいと言い出しました。さすがに呑気なひろしもこれは可怪しいなと思い始めます。でもこれはモデルの仕事みたいなものだと割り切ってベッドで目を瞑りました。するとしばらくしてその男がひろしの身体にのしかかって来たのです。「何すんだ!」ひろしは慌てて男の身体を押しのけベッドから飛び降りました。「やめてくださいよ。なんですか!」ひろしは薔薇族という存在は知っていました。テレビでは俳優・丸山明宏が歌手・美輪明宏と名前を変えたというニュースも流れていました。でも自分の間近にそんな人が近づいて来るとは全く予想もしていません。ひろしはただただ慌てて服を着ると走るようにアパートの階段を降りて行きました。

ひろしが社会人になって5年くらいたった頃です。取引先に連れられやって来たのは新宿三丁目にあるゲイバーでした。ひろしはゲイバーと聞いて一瞬、昔の思い出が蘇り「いやいや止めときます」と断ったものの「とにかく面白いから騙されたと思って」と取引先に無理やり連れて来られたのでした。お店は10人も入ればいっぱいになりそうな狭いところでした。年季の入ったママと若い女の子?がカウンターの中にいてお客さんと大笑いしながら話をしていました。少しその会話を聞いているとママさんとお客のやり取りがめちゃくちゃ面白いのです。下ネタ入りの人生アドバイスなどまるで漫談を聞いているようでした。ひろしはそこにいると全ての偏見や制限から開放されたような気分になり、又ここに来ようと密かに心に誓っていました。

いいんだよ団栗だって同じじゃない


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