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アイススケートとアイスクリーム

夕焼けのとうに闇なり吾子帰る


なかなかショート・ショートのネタが出て来ません。というわけでもっと古い子供の時代の話を書いてみます。

はっきり何年生とは覚えていないのですが、小学校の高学年だったと思います。同級生4人で東神奈川の駅前にあるアイススケートリンクに行った時のことです。それまでにも1〜2回は行ったことがありましたが、まだ棒立ちで足を前後に動かして滑っている、スピードを出す人が近づいて来るとすぐに手すりに飛びつく、そんな感じだったと思います。それでも徐々に滑れるようになり、帰り際にはみんな、もうスケートはマスターしたような顔でスケート場を後にしました。

意気揚々と東神奈川駅に行くと駅前の店先にアイスクリームの白い冷蔵ケースがありました。上気した身体は完全にアイスクリームを欲しがっていました。アイス食べたいなと意見は一致しましたが、問題はお金でした。親から渡されたのは往復の電車賃とスケート場の入場料に靴の借賃だけです。アイス代を払うと帰りの電車賃が足りなくなってしまうのです。よく覚えていませんが、所持金は4人とも同じようなものだったのでしょう。「どうしよう」みんな顔を見合わせて考えました。でも目の前の誘惑に勝てる子は誰もいません。「歩いて帰えればいいじゃん!」と勢いよく言うと全員アイスを買って国道1号線を歩き始めました。この国道を真っ直ぐ行けば多摩川大橋に着くことはわかっていました。そして多摩川大橋から家までは通い慣れているので問題はありません。

アイスをかじりながら皆楽しそうでした。「アイススケートなんて簡単じゃん。」「お前、へっぴり腰だったじゃん」「また行こうな」などと言いながら呑気に歩いていたのだと思います。しばらくの間はスケートで疲れていたはずなのにまだ余裕がありました。しかし1時間もしないうちに足が棒になって来ました。「途中の駅からなら電車賃は足りるかな」と誰かが言いましたが「やっぱり足りないと思うよ」と言う子もいて国道を外れる勇気もなくまっすぐに歩き続けました。アイススケートリンクを出たのは多分午後4時くらいだったと思います。だんだんと日が傾いて来ました。しかしまだまだ多摩川大橋は見えては来ません。みな無口となり歩みもゆっくりゆっくりとなって行きました。いよいよ日が落ちてあたりも暗くなって来ました。幸い国道には灯りがついているので真っ暗ではありませんが、心細さはつのるばかりです。

もう歩いているのか何しているのかわからないほど疲れて来た頃、目の前に多摩川大橋の灯りが見えて来ました。みな一斉に「多摩川大橋だ〜〜!!」と大声を上げると一気に歩みを早めました。人間は目標があるとないとでは全然違います。多摩川大橋は結構長いのですが、全然気になりません。橋を渡るとラストスパートです。最後はそれぞれの家の方向にばらばらと別れて行きました。母は暗くなっても外に立ってずっと私を待っていたようでした。私は最後の角を曲がって家が見える道に出ると遠くに見える母に向かって全速力で走りだしました。そして母に抱きつくと私はもう何も言えずただただ泣きじゃくっていました。

グーグルマップでその時の距離を測ってみたら13キロと出ました。時速4キロでも3時間以上かかります。ということは多分家についたのは7時半か8時近かったのだと思います。

玄関に射す月明り子の安否

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