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ショート・ショート 赤月君

語らいし友との別れ赤き月

ひろしが大学生活を始めてしばらく経った頃のことです。高校の同級生だった赤月君から会って話をしたいと連絡が来ました。高校時代、特に親しかったわけでもなく、ただ仲の良かった友達の友達でした。当時としては珍しかった高校浪人を経て入学した彼は一つ歳が上で、無口で皆に溶け込むことを拒否している感じでした。でもすらっとして知性的な顔付きの青年にひろしは何となく興味を持っていました。ただクラスが違ったこともあり敢えて彼と話すこともなかったのですが、赤月君の方から連絡が来たので少しばかり興味もあって新宿で待ち合わせることにしました。

赤月君は自分の家族がみな創価学会に属しており、中学時代、自分は反抗していたけど最近になって仏の前で拝んでいると本当に心が落ち着くと言うのです。やっと仏教の意味がわかった、だから今は友達にもそれを進めているんだと正直に話してくれました。「へぇ〜。そうなんだ。」と言いながらもひろしは警戒感を強め、「でも俺は宗教には全く興味がないんだ」とその場ではっきり断りました。時代は学園紛争の真っただ中で、共産主義にのめり込む若者、共産主義には納得出来なくても、ベトナム戦争で北爆を続けるアメリカに対し反感を覚える若者も多かった時代でした。そんなすさんだ時代に拠り所のない若者の心を捉えていたのは「オーム真理教」や今世間を騒がせている「統一原理教」でした。ひろしの通う大学にほど近い中央線の駅前では大きなぬいぐるみを被った人達がオーム真理教の勧誘を大々的にやっていたし、大学構内では統一原理を説く若者が人の輪を作っていました。

ひろしが赤月君と会って1ヵ月くらい過ぎた頃、赤月君がひろしの家に遊びに来たいと言って来ました。前回のこともあり少し警戒感はありましたが、時間も経ったし、その後、しつこく勧誘されたわけでもないので、暇つぶしの気分でひろしは「いいよ」と答えました。しばらくして彼は手に荷物を持ってひろしの部屋にやって来ました。荷物を開けるとそこから小さな仏壇が出て来ました。仏壇と言っても中に「南無妙法蓮華経」書いた御札があるだけでした。彼が言うには「毎日朝起きたら仏壇の前に正座して南無妙法蓮華経と3回唱えるだけでいい。それだけで気分がよくなりその日一日を気持ちよく過ごせる。」と言うのです。赤月君が帰った次の日からひろしは彼に言われた通り、南無妙法蓮華経を正座しながら3回唱えて見ました。姿勢を正し、お経を唱えると確かに気分がすっきりするのです。

毎朝の読経がほぼ習慣となった頃のことです。赤月君がひろしに仲間の所へ連れて行きたいと言って来ました。日々の合掌で心がすっかり綺麗な気分になっていたひろしは何のためらいもなく、会合の行われている集会所について行きました。会場に近づくと大きな声で南無妙法蓮華経を唱える声が外まで聞こえて来ました。後方の障子を開けると何十人という人が座って南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!と大きな声で唱えていました。ひろしはその光景を見た瞬間「これはやばい!」と直感しました。一心にお経を唱える人たちがまるで催眠術にかかっている人に見えたからです。「こんな状態で読経していたらきっと催眠状態なって何も考えられなくなるに違いない」とひろしは冷静な目で判断しました。ひろしは会場に足を踏み入れることなく、赤月君に向かってはっきりと少し力を込めて言いました。「悪いけど俺は帰る!とても無理だ!」と。
その後、仏壇を返す為に一度赤月君と会いましたが、それ以降二度と彼と会うことはありませんでした。赤月君は仏壇を受け取るとき少し残念そうでしたが、いつもの通り冷静で感情を露わにするようなことはありませんでした。赤月君は仏壇を抱えると何も言わず静かにその場を去って行きました。

後日、この経験を大学の友人に話すとそれは「折伏しゃくぶくと言って創価学会が信者を増やす為に信者にやらせているんだよ。折伏で信者を増やすこと自体が修行になるらしい」と教えてくれました。「そうか!彼が寂しそうだったのはまだ自分の修行が足りないと感じたせいなのかも知れないな」とひろしは少しだけ申し訳ない気持ちになっていました。

語らいし友との別れ月落つる

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