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海外生活の記憶 米州2010’s 15 ニューメキシコ州

サンタフェというと宮沢りえさんの写真集を思い出すのは私だけではないと思いますが、写真集に出ていたあの雰囲気は是非見てみたいと思っていました。下の写真にあるのは泊まったホテルの外観です。えっこれがホテルですかという感じですよね。確かエルドラド・ホテルだったと思います。エルドラドとは夢の黄金郷という意味でこのあたりでも金鉱があったのですね。

中心街は歩いてもまわれるくらいの小さい街です。でもここはニューメキシコ州の州都で1607年に出来た街でアメリカではフロリダ州のセントオーガスチンに次ぐ古い街なのです。標高2000メートルの高地にあり寒暖差が大きいことでも知られています。

ここが街の真ん中の広場です。下の教会はロレットチャペルで不思議な螺旋階段があることで有名です。普通ならあるはずの中心の柱がないので階段が浮いたように見えるのです。

建物は皆同じような色をしています。この日干し煉瓦はアドビといいますが、スペイン人からプエブロ(スペイン語で集落)と呼ばれたインディアンがもともと使っていたもので、アメリカ最古の建物はこの日干し煉瓦で作られたと言われています。プエブロはテキサスのアパッチ族やナバホ族に比べると穏やかで昔からトウモロコシを作り定住生活をしていたようです。

私もプエブロの集落への観光を希望していましたが、当日になり一族の誰かが死亡した為、喪に服すのでよそ者は入れないと言うことでツアーはキャンセルとなりました。

プエブロは人が増えるとアドビの家を増築していく習慣があり、横に長くなる傾向があるそうです。

教会も可愛いです。スペイン人はプエブロにも改宗を迫りましたが、彼らにはトウモロコシの収穫祭など土着の宗教があり改宗には抵抗したようです。

キャニオンロードには芸術家たちが自分のアトリエと売り場を持っていて思い思いの作品を展示しています。

これはランタンを作っている店が絵画の店が一番多かったです。

ユニークな芸術作品もたくさんありました。

とても素敵な作品ですね。

夜の散歩で撮った写真ですが、クリスマスの飾り付けも素敵でした。

翌日はリオ・グランデに向かいます。

ビュースポットにある駐車場に到着です。

これが峡谷だとわかるには少し時間がかかります。始めは大きながけ崩れの後かと思うくらい荒涼とした風景です。

下の方にやっと川が見えました。このリオ・グランデ川はテキサス共和国がメキシコから独立し、その後アメリカに帰属することが決まった際に両国の国境として定められたものです。但し、メキシコ側はそれに納得せず更に北にあるヌエセス川を国境にすると主張、リオ・グランデを超えて軍を進めたことから米墨戦争が始まった因縁のある川なのです。ゴージ橋から見ると川というより割れ目にしか見えません。

この橋が1965年に架けられた鉄橋でもっとも美しい橋と呼ばれていますが、そこに立っていると全くわかりません。

メキシコはアメリカと同様に独立間もない国だったのですが、独立前からイギリス領として生活水準も上がっていたアメリカとスペインと喧嘩別れして独立した原住民の国メキシコでは国力の差は大きかったのでしょう。

ここが国境となるはずでしたが、米墨戦争でアメリカが勝った結果カリフォルニア、ネバダ、ユタの他、ニューメキシコ、ワイオミング、アリゾナ、コロラドの領土を大きく拡大し国境線は同じリオグランデ川ですが、だいぶ南まで下がることになりました。

わざわざモースト・ビューティフルと書いてある看板には笑ってしまいます。

上の写真はゴージ橋の参考写真です。確かに他に何もないので橋がモーストビューティフルですね。

こんな景色はアリゾナ、オクラホマでもよく見られる風景です。

ツアーはリオ・グランデを後にしてアルバカーキの飛行場に向かいます。

途中に小さな飛行場がありました。

ここから飛行機で帰りたいなと思い写真を撮りましたが、ツアー客はアルバカーキの空港に向かいます。

今でもアルバカーキ付近にはプエブロの居留地が数多くあり、昔ながらの生活をしながら観光施設も整備されています。驚いたことに昔は農牧だけだったこの地域が今では半導体の生産拠点になり都市人口も80万人まで増加しているそうです。


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