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「ラップランド旅行記・前編」2024年3月12日の日記

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・3月4日から10日までの1週間、ルームメイトと2人でラップランドに行ってきた。
わたしが現在暮らしているトゥルクや首都ヘルシンキは、フィンランドのなかでもかなり南の方(日本でいう九州)に位置している。
対してラップランドとは、フィンランドに暮らす先住民族・サーミが暮らす地域のことをさす。日本でいう北海道、「フィンランドでオーロラツアー」などと銘打ったプログラムがある場合、大抵の目的地はラップランドである。つまり、とっても寒いフィンランドのなかでもとっても寒い場所だ。

・先ほどルームメイトと「2人で」と述べたが、正確には留学先の大学の学生連盟が奨励する団体ツアーに、2人で申し込んだ。
これは当初わたしにとって、とんでもなくハードルが高い挑戦だった。

・まず、わたしは団体や共同と名のつく全てが苦手だ。
自分にはない選択をすることで得られる新鮮さも、感情を共有する楽しさも理解しているつもりだが、どこに行くにも何をするにも決断力や責任が付随する感覚がメリットを大きく上回っている(と、思う)から。

・加えて、全日程を共に過ごすのはフランス人のルームメイトだ。
日本語と同じレベルで気持ちを伝えられるような英語力を、わたしはまだ有していない。
それでも参加を決めた背景には、彼女と共に過ごしてきた約半年という年月への信頼と「せっかく留学に行ったのなら日本人以外と旅行してみたい」という純粋な興味だ。

・こうして、わたしは約60名がヘルシンキからラップランドまでバスに20時間ほど揺られ続ける中、日本人、いや唯一のアジア人として7日間を過ごしたのである。
前後編に分けられるくらい充実した体験(もちろん大変なことも同じくらいあった)だったので、今日はそのことを順を追って話したい。

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・1日目。トゥルクからバスの集合先であるヘルシンキまで、まず電車で約2時間半。夜10時のバスに乗車。

・夜行バスの中ではフランス語、ドイツ語、イタリア語、少しの英語が飛び交いまさに人種のるつぼ状態。
この日記でも恒例になりつつある、市のプログラムで出会ったおばあちゃんから貰った厚手の靴下、貸してもらったアイマスク、ネックピローを装着し、長旅への準備は万全だ。

休憩所として立ち寄ったユヴァスキュラで
「道の駅」的な施設を発見

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・2日目。車窓から見えた朝焼けがくれた清々しさは忘れられない。
トゥルクでは人通りの多い市街地は雪が見えなくなりつつあるが、ここでは見渡す限り木々と雪に覆われ、びっくりするほど人気がない。
燃えるような太陽の赤と、冬の朝の張りつめた感覚に胸が躍る。

🏠マークがトゥルク、🚩マークがヘルシンキ
上から2つ目の⛰️が目的地のキルピスヤルビ

・昼12時、最初の目的地であるサンタクロース村に到着。

・先週はフィンランド北部にしてはかなり珍しく、-1°とトゥルクとほぼ変わらない気候が続いていたが、雪が溶ける気配は微塵もなく、ここだけやや暖かいクリスマスが続いているみたいだ。

・大きめなショッピングモールくらいの土地に、サンタクロースの家やハスキー犬との触れ合い広場、トナカイのそり、専用の切手を販売する郵便局などの体験ができる小屋が点在している。
フィンランドでは日曜日は個人経営の店はほぼ閉まっていて、営業時間も午前10時や12時から開店が常識だが、こちらのサンタクロース村は非常に観光地化されているなぁと思った。それでも、日本ほどではないけれど。

・郵便局ではあまり見たことがない柄の葉書が数えきれないほどあって、A4サイズくらいの用紙に記入することでクリスマスにサンタクロースから手紙を受け取れたり(ただし10ユーロ=1600円かかる)、サンタクロース村仕様の切手や判子が押された手紙を郵送することが出来る。
こちらから知人へ郵送する場合は、クリスマスシーズンかすぐに送るかの2種類にポストが分かれている。

トナカイに遭遇

・サンタクロースの家を訪ねた。
サンタクロースの名を冠しているだけあって建物もビッグで、作り込まれていた。世界各国の子どもたちから届いた手紙やラッピングされたプレゼントが並び、クリスマスソングがかかっている。USJのアトラクションに並んでいる間、建物の内装を眺めている時の感覚と近い。

・いよいよサンタクロースと対面するその直前、扉の張り紙には「ここにはサンタクロースと、彼に使える賢いエルフが暮らしています」という文言が書いてあった。なるほど、そういう設定なのね。

・エルフはフィンランド語、英語、フランス語、日本語など計8か国語に対応した「プレゼントを対面した際にサンタが直接渡してくれる」サービスを販売していた。多言語対応なのがフィンランドっぽい。

・いざ、サンタと対面。
彼は日本語とフランス語で簡単な挨拶をしてくれた後「この後も楽しんでいってね」「君の願い事や目標はきっと叶うよ」といった簡単なメッセージを英語で話してくれた。
ちなみに、待ち時間は15分ほど、無料で体験出来るのだが、実際に撮影した写真をオンラインに保存したり現物として残すにはお金がかかる(しかも中々侮れないお値段)。

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・道中の休憩を何回か挟みつつ、宿泊施設があるKilpisjärvi(キルピスヤルビ)にやっと到着。夜10時のことだ。

・ログハウスのような2階建ての内部は存外広く、8人分のベッドが広めの間隔で配置されている。暖炉(火事になりかけた過去があるので使用は禁止)やサウナ、4人がゆったり座れるくらいのソファとYouTube対応のテレビと、団体ツアーならではの宿の大きさだ。

・ここで約5日間を共に過ごすメンバー計8名。
わたしとルームメイトのメアリー(仮名)、そしてフランス人が3人、イタリア人が2人、ポルトガル人が1人。
バスに乗車してから分かったのだが、トゥルクからの参加者はほとんどおらず、6割ほどがエストニアの首都タリンの留学生だった。わたしたちの旅がヘルシンキまで2時間半新幹線を使用していたことと同様に、彼らはヘルシンキの停留所まで既に2時間のフェリーの旅を経由していたのだ。
そして、わたしとルームメイト以外の6人はエストニアの大学からの共通の知り合い同士だった。

・このメンバーとは正直何となく反りが合わなくて、結構苦労した。
まず、わたしは性格的に「F××K」といったパワーの強い言葉の正しい使い方が未だによく分かっていないから、誤用した時のリスクを鑑みてあんまり言いたくない。けれど、彼らの多くは10秒に1回はそれを言う人が多く、同じテンションで接することがどうしても出来なかった。

・さらに、8人で会話しているとどこかで会話が分岐し、フランス語/イタリア語/英語と3つの言語が交差する場と変容する。母語で会話できる友人と出会えたルームメイトが羨ましかった。

・また、共通の話題についていけないことが多かった。わたしたちが日本、中国、韓国人を若干見分けられるのと同様に「あのイギリス人イケメンじゃなかった?」「後ろの席に座っていたフランス人のマナーが悪かった」などの会話が繰り広げられるものの、こちらは正直そんなこと全く覚える余裕もなく、一体誰?誰?誰?の連続なのだ。
大人数のアイドルグループの顔が全員同じに見えるのと同じ現象である。

・勿論、彼らのおかげで学んだことも多い。
その一つが、自己主張をする大切さだ。
「サンタクロース村についてどう思った?」という話になった時、わたしだったら「良かったよ」くらいの曖昧で肯定的な返事をするけれど「商業的すぎると思う、何をするにもお金がかかるからあんまり楽しくはなかった」みたいな意見が出てきたときは驚いた(基本的にこのグループは批判的な人が多かった。それが良いかどうかは別として)。

・他にも、4時間ほど観光地で自由行動をする機会があったのだが、全員でレストランに入ろうという流れになった時に「入店するのはいいけれど、わたしは何にも食べないと思う。お金を使いたくないから」という意見を1人が出したことがきっかけで3人がそれに賛同し、結果となって3グループほどで別行動をすることになった。
わたしは先述した通り、1人行動も楽しく過ごせるタイプ(むしろ1人の時間の方が好き)なので、グループの方向性をねじ曲げてくれるような意見はありがたかった。

・その分もやっとする出来事もあった。
滞在2日目、ベランダで沸かしたばかりのコーヒーを飲み、ラップランドの雪を横目に1人きりの読書タイムを楽しんでいたところ「ねぇねぇ、あなたって何歳?」といきなり尋ねられた。
「21歳だけど…」
「年齢を証明できるものって持ってる?」
「パスポートとか…?」

・彼女の話によると、散歩の帰り際に夜に嗜むお酒を仲間と購入しようとしたところ、身分証の提示を求められた。同行者の1人が未成年で証明が出来なかったため、販売を断られた。そのため、彼女の代わりに身分証を持ってスーパーまで同行してほしいという。簡単に言うと、パシリだ。

・「ごめんね、ありがとう」と言う同行者に「わたしもついでに買いたいものがあったからいいよ」と答えたのだが、いざスーパーに行くと彼女は本当にお酒だけを購入し、わたしが買い物をする時間も待ってはくれなかった。完全なパシリである。

・日本人同士でこのような問題が起こっても、昨日会ったばかりのルームメイトには頼み事はしないだろうし、したとしてもお菓子をお礼に買ったり、「本当に申し訳ない、ありがとう」と何度も伝えるだろう。

・そういうところにモヤモヤして以来、彼女にはどうしても近寄りがたくなってしまい、少人数のグループで話すことはあっても、少しだけ本の世界に閉じこもったり、ドライヤーの時間を長めに取ったり、自分自身の健康と安定のために一時的にグループから離れることも少なからずあった。

・旅行から帰った後1階下に住むめいちゃん(仮名)にそう話すと「わたしはそっちの(1人でマイペースを貫く)方が良いと思う、自分は大人数から離れることに不安になって結局何にも話せないまま時間が過ぎて後悔することが多いから」と言ってくれた。
わたしは1人で過ごす時間は好きだけど、それでも不安は不安だし、後悔もする。同行してくれているルームメイトへの申し訳なさも募る。けれど、他人の目線や世間体より「大人数に合わせて何もせずにいる自分」を直視できないのだ。
慣れない午前中行動の連続、8人での共同生活と肌荒れに直面する数人に対し、わたしは毎日そこそこ健康だった。人生ってないものねだりだ。

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・旅はそろそろ折り返しに差し掛かる。
1万歩以上歩いた後のマシュマロが頬がとろけるほど美味しかったこと、自動車を運転する前に操縦した車がハスキー犬だったことなど、数々のアクティビティが待ち受けているのだが、その話はまた次回。

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