連載:【「ラーメン二郎」は「ラーメン」ではないのか】 第二夜 『ヤサイこそがアイデンティティか?』

画像1


ラーメン二郎をアイデンティファイするものはヤサイなのか。


さて、連載第一回は読んでいただけただろうか。
上記リンクを貼っておいたので、諸君はぜひ読んでおいていただきたい。

私は、ラーメン二郎が好きだ。ラーメン二郎と出会わなければ、東京にはいなかったんじゃないかと思うくらいだ。おそらくラーメン二郎という存在を中心にして、私の現在のアイデンティティが確立されていると言っても過言ではない。

この連載は、その経験と想いをぶちまけていく場である。
大変残酷な宣告となるが、懸命なるnote界隈の諸君であっても今回の投稿を読むには15分程度を要するだろう。


ラーメン二郎への憧れ

初回投稿において、私のラーメン二郎との出会いについて言及した。
私は南国の島にてラーメン二郎インスパイア店と出会った。
それまでにも一度、二郎系を標榜する(していたかどうかは定かではないが、名前も二郎っぽかった)店が県内に進出し、私はそこで一度、二郎インスパイア系のラーメンを食べたことがあった。あれはまだ、2010年よりも前だっただろうか。

関東への旅行の機会を得ること、ならびに、発達したインターネットにより、私のラーメン二郎への憧れは非常に高まっていった。

とはいえ、私が一番最初にラーメン二郎を食べたのは、北海道は札幌市にある『ラーメン二郎札幌店』にて、2013年のことだった。

それ以前にも一度、ラーメン二郎を食べる機会があった。まだ大学に在学していた2010年、松戸店へ赴いたときであった。
当時の松戸店はおそらく、以前存在した『ラーメン二郎赤羽店。』の店主が運営していたかと思う。あの当時の松戸店は臨休が多かったようだ。
夏フェスついでに金町の友人の家に宿泊し、朝飯を松戸で摂取しようと思った私を待ち受けていたものは「臨休」であった。

それからラーメン二郎PC店(現在は新しい管理人が運営している)をブックマークし、遠く沖縄からずっと、指を咥えてその興隆を見守ることとなる。


遂に出会った…『沖縄そば 二郎』

季節は流れ、3度の越冬を超え、なんだかんだ大学院まで卒業して「倫理学修士」なんていう箸にも棒にも引っかからないような学位まで取得した春。
私は南の島で就職を決めた。

総合職の社会人ともなれば当然、会社への忠誠を誓い、残業を受け入れ、会社のメンツと飲みに行くような若造が出来上がる。
そんな「普通の社会人」に憧れていた…
わけもなく。
癖の強い私であるからこそ、就業後はサクッと帰宅しお布団にダイブする生活を送っていた。なんなら週末は大学生の後輩が迎えに来るので、奴らの運転する車に乗っては大学近辺で飲むことが多かった。

そういった生活をしていた私であるからこそ、社会人特有の浮世離れをすることもなく、どうやら二郎系の店が出来た、という情報を即刻入手したのである。

画像2

当時はこんな感じのラーメンが提供されていた。

初回訪問からほどなくして私は、その大食い(人間レベルでの大食い)っぷりを遺憾なく発揮し、「ヤサイマシマシ」などという呪文を得意げに唱えていた。たまに大ラーメンを食べることはあったものの、基本的には小ダブル全マシマシを注文してはエラソーにしていた。当然、会社で匂いに気づかれて怒られたりもしていたものである。
その年末には、店長に「麺持って帰りますか」などと声をかけられるレベルの常連っぷり、というよりも悪いタイプの常連がやりがちなイキリっぷりを発揮し、オーダーについても完全に覚えられるようになっていた。
(先日、沖縄旅行の際に訪問したが、すっかり忘れられていたことは恥ずかしくてここには書けない。)

たっぷりのヤサイにたっぷりのブタを堪能し、私はラーメン二郎に対する想いをより強めていった。ヤサイの高さこそが己の自信であり、アイデンティティであり、食することによってなんだか一人前の男として認められた、ような気がしていたのである。


上京…

どうも私の東京へのあこがれは、ラーメン二郎を食べることに切り替わっていく。満を持して2014年の年末、上京を成し遂げた。

上京後、初めての二郎は当然三田!!

…と、気合を入れて田町駅で降りて歩いた…とある土曜。
私を待ち受けていたのは、閉じられたシャッターと閑散とした店舗前の空間。
そう、臨休であった。

当時は三田本店の営業情報を掲載しているサイトのことも知らず、私は涙を飲んではめげることなく品川二郎へ向かって歩いた記憶がある。

画像3

しかしながら事前情報収集が功を奏し、品川二郎のヤサイの注文については「ダブル」「トリプル」「タワー」(最近こういう注文をしないので、今もタワーが通じるかどうかは定かではない)というコールになることは調べていた。ラーメン二郎に行く際には事前情報が必要であることを、このタイミングで覚えた。まあその後も幾度となく失敗はしてきたものだが…


画像4

その翌週、三田本店での本店バージンを捧げた。感動もひとしおであった。

画像5

翌々週には我が永遠のホーム、神田神保町店への訪問を成し遂げる。

まだまだヤサイマシマシであったり、ヤサイマシのコールを捨てることはなかった。その上、私は大ラーメンへの移行を遂げ、さらなる高みを目指そうとしていたのである。

そうこうしているうちに私は、ラーメン富士丸という店にも興味が湧いていった。マニアたちのブログやInstagramでの投稿を見てから、これを一度食わねばならない、と決意する前のこと、なんの予定も立てず、何の気なしに訪問した。

画像6

私のヤサイに対する想いは、ここでピークを迎えたと言っても過言ではない。
スープも加えてクッタクタに煮られたヤサイ。そして、後に熱く語ることになるだろう「アブラ」…これらを堪能したことにより、ラーメン二郎、ならびにインスパイア系でもヤサイを味わうことの喜びを覚えていた。


そして迎えたカルチャーショック

しかしながら。ラーメン二郎を2年ほど食べ続けると、私は段々と気づいてきた。
前述していたとおり、私は基本的に大ラーメンを食べるようになった。そして、富士丸などの「亜流」二郎系を除くインスパイア店では、上限とされる麺量の基準が低いことに気づいていった。私はよりいっそうラーメン二郎へ照準を絞っていき、いつの間にか可愛がりを受けることが出来る店も出てきた。
私は来る日も来るにも大ラーメンを頼み続けた。もっともっと、たくさんの麺が食べたくなっていった。そんな日々を過ごすうちに

「…ヤサイいらなくね?」

「……ヤサイより麺喰いたくね?」

「………ヤサイ増したら水分でスープ薄まらね?」

そう思うようになった。

画像7

挙句の果てには、「麺が多すぎてヤサイを食う隙間がない」、そういう境地に至った。上記写真についてはもう全くもって意図せず、別の丼でヤサイとブタが提供された記録である
(注:これは注文して出てくるものではないので、お気をつけください)。


画像8

普段は大盛りでもそこまで増えないのに、この写真に至ってはほとんどヤサイがなく、麺で山が形成されていたのである。

私の二郎ならびにその亜流に対する愛は、時を経て、杯数を重ねることによって拗れていった。

ひたすら、麺を食べたいと思うようになったのだ。


何がいけないかって、「麺が美味い」のだ

多くのラーメン店において、自家製麺の導入のハードルは非常に高いようである。
なぜかと言うと、ラーメンの制作においてはスープに莫大な労力を割く必要がある上に、業務用の製麺機を置くスペースがもう、大変なものである。

一方で、自家製麺のメリットには「スープと合う麺を、作り手の意図通りに作ることができる」ことに加えて「コスト面での期待」がある。

なおかつ、ラーメン二郎の麺は美味い。非常に安価な強力粉を使用しているとは思えないほどの魔法がかかった麺である。各店舗それぞれのお手製で作られた麺は、店の個性のひとつとなる。茹で時間もまた、個性として反映されているだろう。
どの店の麺が好きだ、という趣味趣向はあれど、これはまずい、といった麺は食べたことがない。


麺に関する考察は、このサイトがわかりやすい。わかりやすい?と言うよりも、熱量がすごい。
私が上京したての頃にこのサイトを見て、私は非常に奥深いラーメン二郎の世界についてより一層「知りたい」「経験したい」という想いを高めていった。

ラーメン二郎の楽しみ方として重要なのは、あの力強いスープで力強い麺を食べることにある、と私は考える。


「ヤサイマシマシ」という呪文が生む幻想

世間では、ラーメン二郎を印象づける言葉として「マシマシ」というコールが存在している。「ヤサイ」「ヤサイマシ」「ヤサイマシマシ」といった3段階のコールが存在し、盛ってもらえるヤサイの量が決まっている。

ように、思ってしまうのだ。

しかしながら、実際に「ヤサイマシマシ」が通用しない店は多い。これも引用文献がほしいのだが、「ヤサイマシマシ」というコールが誕生したのは、どうやら直系二郎2店舗目で、今はもう存在しない『吉祥寺店』だという説を、私は吉祥寺の飲み屋で聞いたことがある。

事実として、『生郎』と呼ばれたラーメン二郎吉祥寺店は、現在の暖簾分けシステムのように、しっかりと三田本店で修行した店主が開いた店ではないようであった。ある程度作り方を教わってオープンした店、という記述がこちらの記録で見ることができる。

どうもだ…三田本店を尊敬し、そのあり方を継承してきた店ではマシマシが通用しないことが多いように思う。
店頭の張り紙で「ヤサイマシマシしません」と、明確に書かれている店も存在する。
露骨に嫌な態度を取られた、といったコピペや都市伝説が存在するが、実際に「ヤサイマシマシはできません」と言われることもあるので、注意が必要である。
マシマシ禁止の店はどれくらいあるのか…それについては、己の検索能力を信じてインターネットの海を泳いでいただきたいところだ。

ただ、実際のところ、お客にたくさん食べさせるのが好きな店というのも確かに存在している。野猿街道の二郎はヤサイマシマシが大好きな店という印象があるし、我がホームの神田神保町店も、マシマシコールをすればヤサイひとつかみ分くらい増える印象がある。

がっつきすぎるのは「粋じゃない」?

世間一般的な認識として「野菜がいっぱいのっていて…」というのはよく聞かれることだ。まあなんというか、見た目としてまずそれが強いから仕方のないことか、とは思う。

あのヤサイについても、たかがもやしではあってもされどもやし。原価も安いとはいえ、無料で盛ってもらえるものだ。そのことをしっかりと認識しておく必要があることは、言うまでもない。

人の食べ方に文句をつけるな、という意見も至極当然である。そこに文句を言う必要はない。ただ、私が力強く申し上げたいのは、「麺が美味い」というところ、ならびに「スープ薄めるのもったいない」の二言である。
ヤサイをもりもりと載せ、見た目だけをマネた二郎系というのも散見される。そこに、ラーメン二郎の本質のようなもの(あくまで本質のようなもの、と記す)はあるのだろうか。

ヤサイマシマシが売りです、というようなインスパイア店で胃袋を育ててしまうと、ラーメン二郎へ行った際に面を喰らう(麺だけに)ことは目に見えている。


なんだかんだ言ってヤサイは二郎のエッセンス

しかしながら、ヤサイのない二郎も寂しいものだ。そう、寂しい。

ただただインスタ映えを狙うほどのヤサイは必要なくとも、そこに食べることができる食物繊維の山があれば、私はそれも愛していきたい。
また、今回は学術的な文献の引用が叶わなかったが、一口目にヤサイを食べる、ということが急激なインスリン分泌についての助走となり、糖尿病罹患のリスクを抑える、という説も見たことがある。
ヤサイはあってしかるべきだ、と考える私もいるのだ。

先に紹介したサイトでは、ヤサイの重要性についても説いている。スープがヤサイで薄まらない、ということも記されている。
私のスタンスとは違えど、こちらの筆者のように考えることもできるだろう。


おわりに

最後になるが、ラーメン二郎においては世間にはびこるイメージとは違い、ヤサイを強いられる必要はない。
「ニンニク入れますか」と聞かれた際に、「ヤサイヌキ」であったり、「ヤサイは少しでいいです」といった答え方も可能なのだ。ただし、店によっては食券を提出する際にヤサイヌキを伝える必要があるので、その点に関してはインターネットを駆使し、店の特色をしっかりと学んでから臨んでいただきたい。

ぜひとも近場の二郎に足繁く通い、自身に適切なヤサイ量を見つけていただきたいと思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?