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ラーメンを食べるということ −「粋」と「イキる」、そして「生きる」−

ラーメンを、人並みに、奇人変人の類ではないものの、人以上に食べてきた。

物心ついた頃からラーメンを食べてきた。そんな私の自己紹介をまずは、ここにしたためておく。


地方に住まう一介のラーメン好き、北海道に誕生

ラーメン大国である北海道に生まれた。
北海道にいてもラーメンを食べない人もいるし、スキーが出来ない人もいる。ましてやスケートが出来る人など道東地方のごくわずかな街で生まれ育った人に限られる傾向にある。
野生のヒグマに遭遇したことのある人などごく僅かであり、「出会わないほうが幸せ」というレベルである。「車がシカと衝突して即刻廃車」のほうが確率が高いのではないか、とすら思うほどだ。

北海道生まれです、と言えば「夏場でも雪が降っている」などと勘違いされることは多々ある。「沖縄の人間はみな海で泳ぐ」、というのも大偏見である。

これは皆、「行ったことがない」であったり、「ガイドブックを読んだことがない」といった理由に集約される。
おそらく○ンミンショーなどを何の気なしに眺めてみても頭に入ってこないだろう。

そういう辛辣なことを言いたがるお年頃はもうそろそろ終わっていい頃なのだが、減らず口はいまだ治らず、座右の銘は"Bigmouth Strikes Again"(byモリッシー)といった具合だ。


ヒジョーに面倒くさいラーメン観の形成前夜

知識というのは、「知る」行為と、その機会に巡り合わされることが必要になる、と痛感させられる。私は、息を吸うように、とまでは言わないものの、ある程度ラーメンを食べ、知識をためてきた。
初めての記憶はおそらく、両親の実家の方面に帰省する際に食べた、旭川の某店だったような。なぜ覚えているかと言うと、礼儀作法に欠いた振る舞いを父に咎められたことがとても心に残っている。

自分で言うのも恥ずかしいものだが、私は裕福とは程遠いものの、それなりに安定した収入を得る職に就いた両親のもとで育った。いつしか私は誕生日のディナーに寿司をねだったり、ステーキをねだったりするようなこともなく、「ラーメンが食いたい」と言っては、地元の銘店である『海皇』でフルトッピングに替え玉を注文するだけの誕生日を至福と感じ始めた。

※あえて地元のメディアのリンクを張ってみる


そうなれば親も飯を考えるのが楽だったようだ。まだ土曜の「半ドン」制度が残っていた最後の時代に生まれ育った私は、帰宅後に父とラーメンを食いに行くことも多かった。こういった外食は、中学を出て、高校進学に至っても続いていたように思う。

定時制が残っていた高校に進学した私の母校には、学食があった。弁当を持っての通学が当たり前だったが、下宿生やその他学生に向けて、昼も学食が開かれていた。

そこで選んでいたのもほぼラーメンであった。インスタントでもなく、非常にトリッキーなラーメンを出すわけでもないあの学食のラーメンが、私の頭にこびりついている。極めてオーソドックスでありつつも、たまに鶏皮のガラがのった油膜の厚めなラーメンは、今の私に多大な影響を与えた。なんせ「アチアチ」だったのだ。ラーメンは熱いからこそ良い、という持論を持つラーメン好きは多い。ここである程度、自分自身の好みに方向性が生まれた。
そして、だ。少しトリッキーな「カレーラーメン」という至極のメニューにライスをつけて、ラーメンスープを足しても420円で住んでいた。片田舎の学生に、ラーメンと言えば醤油・味噌・塩、ならびに豚骨ラーメンに限られることはないということを教えてくれたのもあのおばちゃん二人だと思う。もしかするとあのオーダーは、学生の希望によって生まれたのでは、と思うと少し胸が熱くなる。


地方に住まう一介のラーメン好き、真逆の地方へ

ラーメン文化の弱い県に進学をした私は、当然ながらラーメンがない、ということに対する嘆きも少なからず抱いた。そんな心配を他所に、私の進学した県でもほどなくしてラーメンブームが起こり、ラーメン屋にも行列店が生まれたのだが、やはりまだまだ文化としては弱いな、と感じた。ときに物凄い衝撃を与えてくれる店が誕生したが、どうも県民性のなすところか、「ラーメン協会」のような集団形成が、一部界隈にて行われ、毎年のようにラーメンフェアが勃発していた。
どうも私はそれを熱い眼差しで見守ることが出来なかった。肌を焼き、目を細めさせるような日差しと相反して、私の心には氷河が形成されたような感覚も覚えた。
逆に、私の心は地元の麺文化に惹かれ、いつしか「これは極めてラーメン的な味わいだ」などと偉そうなことを後輩に語りながら、じっくりと体重を増やしていった。


追求したい、ラーメンにおける「粋」

ラーメンを扱う人間…それは、作り手に限らず、食する側も含められる。ラーメンの愛し方は様々だ。ラーメンが好きになり、ラーメンを食べる。それは、家でインスタントラーメンを食べる者、カップラーメンを食べる者も例外ではない。ただ、その人々にとっても必ずと言っていいほど「趣向」や「傾向」を持ち合わせている。
私は、作る人間にも、食する側にも「粋」な姿勢を求めるようになった。私は、サイッコーに面倒くさい人になったように思う。
ここで言うところの「粋」とは、九鬼周造のいうところの「いき」に影響を受けており、また、ラーメンを愛する諸先輩方の振る舞いから学んだ「姿勢」がもととなった価値観である。

学生時代から社会人に至るまでのおよそ10年間滞在したあの県に出来た、「二郎系」という、おおよそ「粋」を感じることがない、「ラーメン二郎が履き古したフンドシ」で相撲をとるような店にハマったことがきっかけで、私は「ラーメン二郎」と出会うことが出来た。私がハマりにハマったあの店を通じて私は東京を知り、裸一貫で関東圏に引っ越しをし、相変わらずラーメンを食べている。
その「二郎系」のラーメン屋がもととなり、私は「粋」な人間と数多く出会うことが出来、仲良くしていただいている人間とコミュニティ形成を成功させた、と自負している。


と、抑えきれないエゴイズムとしての「イキり」

何気なく初めたラーメン二郎を食べた記録としてのブログのアクセス数は、5年弱で888件の投稿に対し300万超。自分で言うのもなんだが、まあまあなものだと思う。


それに付随する形で始めたinstagramについては、フォロワー数が1万人を超えた。今やこっちのほうが大きなリアクションを感じ、いいリアクションがつくとニンマリしてしまう。


何がしたくてこんなことを始めたのか。たぶん私は、自分の食べたものを「イキり」散らすエゴイズムの昇華として始めたのだと自覚している。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を抱えていた私は、虎ではなく豚となっていったことにより、いつの間にか自尊心をふくらませるような思いを抱いていった。実際に、私のブログとinstagramについてはよくある「ラーメンの紹介」にとどまるものではなく、体よく言えば「随筆」、もっとけなしたように言えば「ただの日記」が半数を占めている。

そんだけ「どーでもいいモノ」を書いているにも関わらず、「マクラが面白い」という意見が聞かれるようになると、私は多少の自信を身に着けた。
「ほとんど読んでないけど」なんて言われても、「いいね」をつけてくれる方は少なからず、私が食べたラーメンについて影響を受けているのだな、と思うようにしている。



おわりに -当コンテンツの目的-

先に述べたように、私は非常に自己満足なだけのブログ・instagram投稿を行い、何故か友達も増え、食べるラーメンの傾向も変わり、ラーメンの繋がりが更にその他の見聞を広めるような経験をしてきた。
これもひとえにラーメンのおかげである。ラーメンを愛する、「粋」なものを教えてくれたラーメンに関する先人たちに感謝したい。
そして、私達が伝えるべき文化的な営みを、どうにかして形にしたいと願ったからこそ、今回、ラップトップのキーボードを叩き始めたわけである。

相変わらず「イキりたい」私ではあるが、「粋」というところも深く伝えていきたい。そうであるから、私は新たな媒体としてこのnoteというメディアを選んだわけである。



いつしか自分の生き様のようになってきたラーメン観と知識を、ここに書き記していきたい。

ただただそう思いつつ、なんか内容もない薄っぺらい記事を書きそうな気がするなー、という私に対する一抹の不安と戦うつもりで、いまは、いる、ので、ある。


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